yukixうろうろ日記

京都在住。関西を中心にうろうろしてます。

法事にて

土曜日は、義実家の法事であった。
お坊さまに義実家に来ていただき、読経後、会食である。
というわけで、数日前から、慣れない準備であたふたしていた。

金曜日の仕事帰りに、高島屋百貨店に立ち寄り、お坊さまにお出しする上生菓子を選びに行った。
滅多に上生菓子を買う機会がないもので、じっくりと吟味したかったものの、あまり時間がなく、やや焦り気味に銘店街の品揃えを見回す。

ワクワクである。
自分が食べるものではないが、選択肢を義父より授けられた時より、脳内では、「着物を着た自分が、建仁寺のお庭を眺めつつ、美味しおすなぁ、などと言いつつ食べている」という、おそらくこの先そういう機会はないだろうよ、という姿を妄想する。

そんなわけで、「鶴屋吉信」の「綾錦」という上生菓子を選んだ。
紅、緑、黄金色の練り切りが細かく飾られ、まさに錦秋の趣である。
「あ。これも…」と、「紅葉つばらつばら」「抹茶つばらつばら」というどら焼き風の焼き菓子も購入。これはお供え後に、リアルに我々が食べる気まんまんのお菓子である。

意気揚々と買った「綾錦」を皆にも見てもらいたい!と、法事当日の朝に封を開け、菓子皿に盛り付けんとしたところ、上生菓子は、お坊さまがそのままお持ち帰りになるかもしれぬということで、封を開けず箱のまま出してね、と上層部からの仰せであった。

そのまま、錦秋たる「綾錦」の姿を拝むことは出来なかった。
皆にも見て欲しい。
この美しさを。
や、それも勿論あるが、「どうだ。これを選んだのは私だぞ。このチョイスはどうよ。さぁ、さぁ」という、私のさもしい自己満足を満たすには至らず、そのまま法事はスタートとなった。

「綾錦」は、もういいとして…
読経の間、私は正座に耐えられるのか。

菩提寺での法事の際は、椅子なので、そんな心配はご無用であった。が、今日は違う。
しかもホスト側のオヨメサンという立場であるので、「ずっとちゃんとしてなくちゃいけないのではなかろうか。や、多分、皆そこまで意識しないだろう。や、しかし、万が一ということもある…。いやいや、大丈夫でしょ。うーん、しかしなぁ」と、数珠を握りしめたまま、しちめんどくさい天国と地獄行ったり来たり。

読経が始まった。
15分を経過した頃、隣の主人ネコ男氏が、足を崩し、あぐらの体勢に変わった。
なんだろう。この勝った気持ちは。
一つの関門をクリアした心地である。

20分経過。若干しびれた感じがあるが、意外と平気である。しかし義父や義兄は涼しい顔で読経を聞いている。
私は、微妙に、右…次は左…と、そよ風になびく野の花のような速度で、体重を移動し、気を紛らわせるべく、目の前のお坊様の薄茶色の袈裟をガン見する。
麻だ。
まだ日中は着物だと暑いもんね。
ああ、こうやって縫い合わせてあるのか…。
染めは草木染めだろうか。化学染料だろうか。
お坊さまの奥さんは大変だな。管理とか…。

等、目の前のお坊さまの袈裟と奥様に思いを馳せつつ、30分経過。
つらい。
心頭滅却心頭滅却
しかし、ここまで来たら粘りたい。
すでに足の感覚は遠く彼岸へと消え去り、「このあと立ち上がれるのか」という漠然とした悲劇の到来を、うすらぼんやりと感じ始めていた。

5分後くらいに、お坊さまの読経がクライマックスを迎え、間もなく、終了した。
「どうぞ、足を崩してくださいね」というお坊さまの一言で、ついに足を崩す私。
お坊さまのありがたいお話の間、私の足の電気的しびれはMAXを迎え、触るものみな感電させるような勢いである。

心頭滅却心頭滅却
このような足のしびれなど、まぼろしに過ぎぬ。
心の中で再び自分に言い聞かせる。

この時、玄関に、仕出しをお願いしていた料亭から、お弁当の配達が届いた。あぐらからバッと立ち上がるネコ男氏。私も行かねばならぬ。
ついに来た。勝負の時が。
足の位置をぐぐぐぐっと変え、心の中で「セイッ!」というような掛け声をかけ、立ち上がった。
意外とすんなりしびれは消え、「別にどうちゅうことあらしません」という顔で玄関に向かうことが出来た。

やったよ!私、やったよ!

先にお弁当を受け取る主人ネコ男氏に、無言でニヤニヤと笑いかける。「なんだこいつキモいな」という感じで、ネコ男氏はお弁当をバケツリレーで私に手渡した。

届いたお弁当は、予想以上に大きく、30センチ四方の日本料理がびっちり詰まったお弁当プラス、ごはんや茶碗蒸し、椀ものなどで、用意していた部屋のテーブル上には乗り切れず、ネコ男氏と私はダイニングテーブルで、二人で食した。
一人分多く注文されたので、丸々手付かずのお弁当は、お皿に移し替えて、また食べればよい。
しかし、茶碗蒸しはそのまま移し替えるのが、難しい。
しかし、2時間後には、また仕出し屋さんに器一式を返さねばならぬ。
というわけで、茶碗蒸しが好きな私は、二個目を頂くことにした。
すでにお弁当だけでお腹の臨界を超えていたので、早速「う…」となった。

平日の昼前、お腹をすかせている自分に、これを分けてあげたい。

そんな感じで法事は終了。
次回はこうしよう、という学習が、沢山出来た気がする。