お正月休み最後の日。
昨晩から雨が降ったり止んだりで、気温も低め。
午前中、二ヶ所の初詣に行きました。
まずは、西大路八条の若一神社。
すっかり行きつけ化しつつあります。
いつも南から上がってくるので気付きませんでしたが、今日、西大路通りを北から下がって来ると、若一神社の前で西大路が大きく曲がっているのが分かりました。
車の進行方向の前方に、大きな楠が見えて来ます。そのまま真っ直ぐ走ると楠に突き当たるように見えて来ます。楠を避けて、道路が曲がるように造成されているんですね。
幟が沢山立てられています。
お正月の初詣の方々で、賑わっていました。
御本殿前。
沢山のお守りやお札、縁起物が販売されています。
御本殿前で御祈祷が始まりました。新年に御祈祷っていいですね。私は厄年の厄除しか受けた事がないので、どこかでお願いしてみたいです。
境内社。寿命社と弁天社。
松尾社と福徳稲荷社。
清盛餅。美味しそうですね。
歩道を挟んだ場所にある楠社。
座敷わらしの言い伝えがある楠です。
社務所でも、神社の方と地元の方が、楽しそうに座敷わらしのお話をされていました。
さて、若一神社を後にして、久しぶりに城南宮に行こうかな?とナビを設定。その途中「吉祥院天満宮はこちら」という案内看板が目に入りました。
吉祥院天満宮は行った事がないな。よし、城南宮はまた今度にして、こっちにしようとアッサリ変更。
それと向かい合うように、弁財天社があります。
境内には、菅原道真公が役所に御参勤の際に、お姿を映された井戸「鑑(かがみ)の井」がありました。
改めて天満宮の鳥居の中へ。
境内はそこそこ広く、右手に吉祥天女社が見えて来ます。ここは、神社と仏閣が共存しているんですね。
延暦23年(804年)、菅原道真公の祖父清公卿が遣唐使として唐へ向かう途中、海上にわかに暴風起こり船が転覆しかけた時、同船していた僧の最澄と共に吉祥天女に祈った所、天女たちまち現れ風雨鎮まり、無事使節の任を果たした。帰朝後、吉祥天女の尊像を自ら刻まれ、開眼供養された、とのこと。
応仁の乱の際に焼失を危惧され、土中に埋められていましたが、世の中の鎮静とともに掘り出され、元通り安置されているそうです。
尊像は扉の向こうにあり、ご開帳はされていないようです。この写真の通り、目線はお堂の天井を仰ぐ形で、構造的に重厚な雰囲気のお堂でした。
このあたりの地名も吉祥院というのですが、ここが発祥なんですね。知りませんでした。
葉牡丹と干支のネズミ福助さん。
この地は、平安京遷都の際に、道真公の曽祖父である古人卿がお供して都に入り、帝より領地として賜った土地。つまり、菅原ファミリーのおうちだったんですね。勿論、道真公はここで誕生され、幼名を吉祥丸と呼ばれました。
近くにつれ、色々なものが目に入ってきます。
なんか、気になるものがそこかしこに…。
手前に吉祥水という手水があったのですが、この時は気づかず、こちらの硯之水(すずりのみず)を手水として使わせてもらいました。
拝殿前。奥に見えるゆるキャラ的なのは、吉祥丸くん。手前の狛犬さん、昔からあるんだろうなぁ。
参道を挟んで、一対ずつ、神牛像と狛犬がダブルで守ってはりました。
ちょうど、祈祷を終えたらしき、本格的な鳶職の正装姿の男性陣が20人くらい、ガヤガヤと祈祷殿から出てこられました。おー、すごい、江戸っ子みたい。お正月ぽいいいものを見れた気がします。
胞衣(えな)塚。
道真公のへその緒を埋めたところ。
初宮参りには、祈祷の後にここに参り、赤ちゃんの鼻をつまみ泣かせて発声の初めとするそうです。
私はこの時はまだ、この天満宮が道真公生誕地とは知らず、由来も知らないままだったので、「ふーん。なんで道真公のへその緒がここにあるの?」と思ってました。ここでお生まれになったのであれば、なるほど、あり得るな。
昼過ぎに、ネコ男氏が温泉旅なら帰還し、お土産の羽二重餅を早速いただき、そろそろ私の年始休みは終了です。今夜からまた義実家に行き、明日は仕事再始動。ぼちぼち行きまっしょい。