車で走ること2、3分で、西塔の駐車場に到着。参道を下りて行くと、東塔とはまた違う雰囲気です。
蓑淵弁財天。
にない堂が見えてきました。
隆々とした木々が醸し出す力強さと、修行場である緊張感が相まって、目が覚めるようです。
にない堂とは、二つのお堂の総称です。
武蔵坊弁慶が肩に担って持ち上げたというにない堂の渡り廊下で、二つのお堂が繋がっています。
左手が常行堂。延暦寺の修行の四種三昧のひとつ、常行三昧を修すお堂。
常行三昧とは90日間の修行で、ご本尊の阿弥陀如来様の周囲を、念仏を唱えながらひたすら歩き続け、座ることも伏臥も許されません。睡眠は、一日数時間、手摺りによりかかって眠るという修行。
右側が法華堂。
こちらでも、同じく90日間の法華三昧という修行が修されます。
常坐三昧とも呼ばれ、ご本尊である普賢菩薩の前で、ひたすら座禅を行う。勿論、伏臥は許されません。
延暦寺の住職になるには、三年籠山行という、三年間は比叡山から出ないという修行をしなくてはならないそうです。
一年目は、浄土院に仕える侍真(じしん)という修行僧の助手。二年目は百日回峰行。そして三年目に行うのが、常行三昧もしくは法華三昧のどちらか。
ひたすら歩き続けるか、ひたすら座り続けるか。
三年生になると授業が選択制になるような感じですが、桁違いに凄まじい選択です。
比叡山や、吉野から熊野の回峰行についての本を読んだりしていましたが、別世界の出来事のようでした。
いま目の前に、実際に厳しい修行が為されるお堂が現れ、感動しました。
山の中ですから、昼間はいいとしても、夜になると真っ暗だし、いろんな動物、果ては魑魅魍魎の類も跋扈するかもしれません。
そんな中で、ずーーっと座禅組むか、ずーーっと歩き回るか。脳がパンクしそうです。
にない堂の渡り廊下を抜けると、西塔の中心、釈迦堂が見えてきます。
釈迦堂。現存するお堂の中では最古。ご本尊は釈迦如来様。
お堂の中は静かで、心落ち着きます。
お堂から外を眺めると、山の方で鳴いている鳥の声が響き、晴天の日の光が満遍なく降り注ぐ空間に、「はー…」と脳みそが空っぽになりそうな癒され感。
御朱印をお受けした際に、お下がりである延暦寺のお菓子もひとつ頂きました。嬉しい。
お堂前に立つこちらの木の迫力がすごい。
おもむろに菩提樹の下へ。
明るい緑色の葉っぱに囲まれて、ひたすら静謐で優しい空気感。この時はこれが菩提樹とは知らず、帰宅して調べて「おお。あれがお釈迦様が悟りを開いたという菩提樹か。なるほどー。悟り開いちゃいそうな感じなー」と納得。
再び、にない堂への階段を上がります。
そのまま進むと、比叡山の中で最も神聖な場所である伝教大師最澄上人の廟所があります。
少し山道を行くようですが、レッツゴー。
鳥の鳴き声が響く森の中を、10分ほど歩きます。
うっかり、ほぼフラットシューズと化しているスニーカーで来たので後悔しましたが、滑ることもなく到着。
浄土院御廟。
一歩門の中に入ると、美しいお庭が広がります。日の光を受けてキラキラと輝く白砂には砂紋が引かれています。
御廟の拝殿。
先程の三年籠山修行もハードですが、ここには、延暦寺の修行の中で最も厳しいとされる十二年籠山修行のお坊さんが、今も修行中です。
あの過酷を極める千日回峰行の行者さんですら「十二年籠山行が最もつらい」と仰るという…。
どんな修行なのだろうと思い、事前に調べていました。
宗祖最澄上人が、今も生きているかのように食事を捧げて、お念仏を唱え、庭に木の葉一枚残さぬように、掃除しまくる「掃除地獄」とも呼ばれているそうです。これを十二年。たった一人で浄土院に籠り、親が亡くなろうと病気になろうと山を出る事は出来ない。ここにお仕えする修行僧は選ばれた人でないと出来ないそうで、「侍真(じしん)」と呼ばれます。
十二年籠山行の侍真となるには、その前に好相行(こうそうぎょう)という修行をしなくてはなりません。
三千もの仏の名前を一仏ずつ唱えながら、お香を献じ、お花を献じ、そして五体投地という礼拝を行う。
仏様が現れるなどの好相を感得するまで続けられるそうです。
しかも、十二年とありますが、次の侍真が現れるまで続けなくてはならないそうです!最低限十二年籠山行ですね。
読んでいるうちに、「ヒー!」となりました。
もう場合によっては、命尽きるまで、侍真として浄土院の中で過ごすわけで…。人生を捧げる覚悟がないと務まらないのではないでしょうか。
生き仏のようなお方が、今もこの拝殿の中にいらっしゃるんですね。
私のような凡人からすると、いったいどうして?どうしてそこまで命がけの修行されるのですか?と思わずにはいられません。
拝殿の奥に、廟所があります。
高野山奥の院にも、このような感じで空海上人の御廟がありますが、雰囲気が違いますね。高野山の方は賑やかな印象ですが、ここは訪れる人も多くはなく、とても静かな聖地といった感じ。
香炉の灰が、このような形に整えられていました。
背後に気配を感じ振り向きますと、参拝に来られたハイカー風の女性が立っていました。
会釈をすると、女性は「沙羅双樹のお花が咲いていると聞いたんだけど…」と、私に話しかけて来ました。
「え?沙羅双樹?」「白いお花よ」
沙羅双樹と聞いてぱっと思い浮かぶのは、平家物語冒頭の琵琶法師の「沙羅双樹の花の色…」。
実は、廟所向かって右手に沙羅双樹、左手に菩提樹が生えているのですが、その時の私は知らず、「はぁ。沙羅双樹…」と、沙羅双樹沙羅双樹と繰り返しつつ、周りに白い花が咲いていないかキョロキョロしました。
結局、沙羅双樹の花は見つけられず、お先にその場を去りました。もし咲いていたら、神秘的な光景だったでしょうね。
西塔エリアは初めて来ましたが、にない堂に感動し、菩提樹に癒され、浄土院で深く考えさせられました。
来た道を戻り、駐車場の車に乗り込み、三つのエリア最後の横川(よかわ)に向かいます!