少し前に、主人ネコ男氏と滋賀県の近江八幡市に行きました。
琵琶湖の東側、五個荘(ごかしょう)と呼ばれる近江商人ゆかりの街を車で通り抜けて行きます。
繖山(きぬがさざん)、標高432.5メートル。
山頂近くにある西国三十三所札所、観音正寺を目指します。
やーー。この道がですね。非常に!非常に!狭いです。その狭い道をどんどん、山頂まで上がっていくわけで…。
特に途中の料金所を過ぎてからの山道は、私ならば一人の時は運転したくないですね。ところどころすれ違いポイントが設けられていますが、「対向車来ないでお願いお願いお願いしますホントにお頼み申し上げます」と思う箇所が多かったです。
ちなみに、この日は比較的気温高めの1日でしたが、山道を登り始めて間もなく道路脇の樹木に雪が残っており、上に行くにつれ残雪が多くなって行きました。
幸い、往路は対向車が来る事なく、無事に到着。
こんな山の上だもんね、そりゃ雪も残ってるような冬の最中に来ないよね。と思いきや、駐車場にはそこそこの数の車が停まっていました。
西国三十三所第三十二番札所、観音正寺。
ここから山道を5分程度歩いて行きます。
古井戸ありとのことです。どこ?と見てみましたが私には見つからず。
お寺への道の脇には、このような言葉の書かれたものが、ぽつぽつと。
雪が残っています。やはり山上に近いので気温も低め。
おくのいん、と書かれた石碑と鳥居が出現。
このあたりは、巨石があちらこちらにありました。
言い伝えによると、聖徳太子が巨岩の前で舞う天人を見たので「天楽石」と名づけたそうな。天楽岩の中には聖徳太子が彫ったという五仏の仏が描かれているとのこと。
こちらはねずみ岩。
道からは町並みが見えました。こうやって見ると、ずいぶん高いところにお寺を作ったんだなと分かりますね。
本堂エリアが現れました。ここは山門はなく、仁王様が仁王立ちされています。
1400年前、聖徳太子が山上にて千手観音を彫り、寺を開創したそうです。
仁王様の手前、脇道に石段がありました。下から徒歩で上がってくると、ここに出るのかもしれません。
こちらの立派な建物の中に、チラシなどが置いてありました。事務所っぽくなってました。
観音正寺と彫られたかまどのようなもの。何に使ってらっしゃったのでしょうね。
こんもりした屋根のあるお堂の中にはお地蔵さま。
大日如来をお祀りした祠の向こうに広がる景色。
釈迦如来坐像。江戸時代に安置され、第二次世界大戦の時に供出されたそうです。昭和58年に再建したとのこと。
御神木がお祀りされていました。
こちらは祠の裏側。御神木を背にお地蔵さま。
見事な枝ぶりですね!
奥に見えるのが本堂です。
寺伝によると、
推古天皇の御代、近江を遍歴していた聖徳太子は、湖水から浮かび出てきた人魚と出会いました。
人魚は「私は前世漁師であり、殺生を業としていたため、このような姿になりました。繖山にお寺を建て、どうか私を成仏させてください」と懇願しました。
聖徳太子はその願いを聞き入れ、みずから千手観音の像を刻み、堂塔を建立したとされ、日本唯一の人魚伝説が残る寺院とされています。
本堂前には雪が残っていました。
ご本尊は、総白檀丈六千手千眼観音菩薩。
全て白檀で作られた、大きなお姿でした。
お参りの人影は、決して多くはありませんが、コンスタントに少しずつ途切れなく現れる、そんな感じでした。自分たちも含めてですけれど、よくこんな山の上まで…と思わずにはいられませんでした。地元の方の信仰が厚いのでしょうね。
石が積み上げられた空間。
その奥に、魚濫観音がお祀りされていました。
思わず「ここ、ここ!ここですよ」と声を上げる私。
人形伝説の言い伝えを、そこはかとなく彷彿とさせますね。魚濫観音、初めて拝見しました。波の上の魚に立つ観音様。悪鬼の害を除く、と祠の横に書かれていました。
おちゃこ稲荷。立派な祠でした。
天空の寺院。なるほど。確かに空に近い寺院でした。
さて、来た道を戻ります。
車に乗り、山道を下りましたが、復路は何台かの車とすれ違いました。幸い、すれ違いポイントの近くだったので良かったですが、完全に下りるまではヒヤヒヤしました。
これは、本堂で「コロナ退散に」とお受けした元三大師のお札。
玄関の内側に貼ってみました。