「麒麟がくる」が終わったばかりの時だったので、駐車場には沢山の車が停まっていました。
安土城オリジナル飛び出し坊やも。私は飛び出し坊やグッズ大好きなので、大喜びで駆け寄りました(笑)
がらんとした芝生に見えますが、昔はここにもお城に関連する建物があったようです。
入り口には受付があり、入場料を支払って通ります。ここは摠見寺という、信長公が築城の際に開創したお寺の管轄になっています。
さて、ここからは延々と石段登り。
当時のままというものではなく、昭和の頃に整備が為されています。受付に無料で貸してくれる杖が沢山ありました。無しでも行けますが、持って行った方がいいかな?と個人的には思います。
登り始めてすぐ左手に、羽柴秀吉公の御屋敷跡。
上の天守まで登って思いましたが、秀吉公は、ここからお城まで走って上がって行ったという逸話を思い出し、凄まじい体力かつ健脚だなと思いました。
当時は石段に沿うように、信長公に仕えていた方々の御屋敷があったんでしょうね。
ご自由に鐘をつくことが出来る鐘楼がありました。信長公への供養の気持ちをもってつくのが望ましいようです。鐘の下の賽銭箱に、有名な「人間五十年…」の唄が刻まれていました。
振り返ったところ。
すでに、なかなかの眺めでした。
ちなみに、帰路は別のルートを歩くようになっていたので、このあたりの写真を撮る時は、往路に撮影しておいた方が良いと思います。
さて、すでにこのあたりで、私はもう息が上がり、ゼェゼェ悶えつつ必死で登ってました。石段、けっこう段差がある箇所も多く、しんどい(^◇^;)
ところどころ、石仏が石段として埋め込まれた箇所がありました。
本丸付近まで来ました。
ねぇ、本丸まだぁ〜?まだ登るの〜?
と心の中でこぼしつつ、ひたすら石段を登る。
おお、森蘭丸屋敷跡。
やっぱり上様付きの小姓は近いところに住んでたんですね。
仏足石。こちらも築城の際に徴用されたもの。
本丸跡です。石が残っているだけで、つわものどもの夢のあと。
天守へと続く石段。
天守跡。礎石が残されています。
向こうの方に、琵琶湖が見えます。今は遠くに見えますが、当時は近くまで湖があったとか。
信長公は、ここから天下を夢見ていたんですね。
二の丸跡には、信長公がお祀りされていました。
さー。あとはもう下るだけでしょ。だって天守より高いところはないもんね。と思いつつ下っていると、順路途中、また登りが見えて来ました。
「キェェ、まだ登りあるん!?」と、小声でうめきつつ、上へ。
摠見寺本堂跡。
見事な三重塔。
ここからの眺めが、とても良かったです。
さぁ、ここからは正真正銘の下り。杖を使いながら石段を下りて行きました。
途中、立派な山門がありました。
比較的健脚なネコ男氏が「途中で足がカクカクしてきた。ええ運動やわ〜」と言ってましたので、やはりスニーカーとかハイキングシューズ必須!ですね。ヒールなどでは危ないかなと思います。
それにしても、お城から下までは、なかなかの高低差。まぁ、信長公は御輿に乗ってはったのかな?と思うのですが、出仕の人たちは大変だっただろうな。
お昼ご飯。
「くらお」の味噌チャーシューラーメン。ご覧の通りのボリュームで、夜まで満腹でした!