K大に隣接した通りの奥、吉田山の麓にある吉田神社。
ここ、30代前半の頃の4年間、年に1度だけ、友達と厄年の厄祓い祈祷でお世話になりました。
なぜ吉田神社だったかというと、友達がこのへんに住んでたので、じゃあそこで!というノリで決めました。
後厄の時だったかな。友達と私の他に、60代くらいのご夫婦が、娘さんの厄年厄祓いの代理で来られていました。
いざ本殿前で御祈祷が始まり、まず私の名前、生年月日、住所が読み上げられると、隣のご夫婦が「!?」という感じでこちらをチラッと見ました。
え、なんだろう?と思いつつ、その後、ご夫婦の娘さんの名前と生年月日などが読み上げられると、名前と生年月日が、私と全く一緒だったんですね。
ビックリして、その後、友達と「すごい偶然やな」と話していました。
その後も、仕事の昼休み中にフラッと散歩に来たり、2月の節分祭に来たりしていました。
いつも本殿周辺エリアしか行かなかったので、改めて、吉田神社をぐるっと色々回ってみよう!と思い立ちました。
正面鳥居の左側に、今宮社。
わー、懐かしい。久しぶりだな。
改めてみると、木に存在感がありますね。
石段を上がると、広く開けた空間となり、こちらが本殿のあるエリア。
貞観元年(859)、平安京の守護として、都の鬼門にあたる吉田山に創建されました。別名、神楽岡とも称されているそうです。
吉田神社といえば、2月の節分祭が有名ですね。この手前で大きな火焚きが行われます。昔、仕事終わりに何度か同僚と来た覚えがありますが、ものすごい混雑でした。そりゃー、元気と知識を有り余らせた若きK大生が大量に流れ込んできますからね。
こちらの奥に本殿があります。春日造りで、四柱の春日神社系のご祭神がお祀りされています。
祈願割符。初めてみました。半分は御守りとして持ち帰るらしいです。
神楽岡社から下の境内を撮影。
吉田神社は、吉田神道という、独特の流派といいましょうか、当時の時代を席巻した神道だったようです。
ちょっと他の神社とは違う感じなんですね。
藤原山蔭公が創建し、吉田(卜部(うらべ))兼倶公が発展し大成したのだそうです。
若宮社。水徳神。
古いお社ですね。
卜部(うらべ)兼倶公をお祀りしています。
なんというか、正直を申し上げると殺風景な印象。吉田神社の立役者的な存在なので、もっとドドーンとした社殿でもおかしくないような気がするけども。
ここから更に吉田山を登って行きます。
続く!