先日のおやつ。文明堂のかすてら。高島屋でジャケ買いしました。
土曜日のランチ。こないだは久御山町店の「キラメキ」で濃厚坦々麺をいただきました。今回はいつもの上桂店で、名物の台湾まぜそば直太朗。
やっぱり美味しい。安定の味。
今日の午前中、主人ネコ男氏と散歩へ。
てくてく歩いて乙訓寺に到着。
西暦603年頃、約1380年前に聖徳太子によって創建されたと言われてます。
西暦784年に、奈良から長岡京に都が遷都されました。わずか10年で平安京に遷都しますが、長岡京は唐の長安を模した都城づくりが為され、乙訓寺は都の鎮めとして重要視されたそうです。
裏門から入りました。
新緑がまぶしい境内に、パッと咲いている牡丹。
ここは毎年、4月末頃に境内の牡丹が咲き誇り、牡丹まつりを開催しています。
しかし、今年は暖冬の影響による牡丹の発育不良のため、おまつりは中止されるとのことでした。
HPによると、牡丹は開花する際に大きなエネルギーを使うので、株に大きな負担がかかるのだそうです。
なので、木を養生させるため、今年は膨らんだ蕾を切り落とすとのこと。
これは少しだけ残された咲いている牡丹なんですね。見る事が出来て良かったです。
白い花が咲いていました。
乙訓寺本堂。
ご本尊は、秘仏、合体大師像。
秘仏なのでお姿を拝することはできませんが、勅命により乙訓寺に着任した空海上人が、八幡大神の姿を彫っていると、おじいさんの格好で八幡大神が現れて「協力して一体の像を造ろう」とお告げになったそうな。
そして、八幡大神は大師をモデルに肩から下を。
大師は八幡大神をモデルに首から上を、それぞれ別で掘りました。出来上がったものを組み合わせると、上下二つの像はびったりと狂いなく合体。
同じようなものが国宝として東寺や東大寺にもあるとのこと。
空海上人と八幡大神のコラボ。調査すれば国宝の可能性もありかな。
そして乙訓寺といえば…。
当時の帝であった桓武天皇の実弟で皇太子でもあった早良親王は、藤原種継暗殺の疑いをかけられ、この乙訓寺に監禁されました。
結果、早良親王は断食して潔白を訴えるも、流罪となり淡路島に護送される途中の淀川沿いで絶命。
そして、平安京に都が遷都したものの、都には怪異が立て続けに起こり、早良親王の怨霊の祟りであるというお話へと続くのでした。
その早良親王は、昨年お参りした寺町通りの下御霊神社の御祭神の一柱としてお祀りされています。
現在、ぼたん祭りの時期以外は、人も少なく静かなところなので、大昔にそのような重要な事件である早良親王が監禁されていたとは想像出来ないような、のどかな雰囲気。
もちろん、大昔とは景色や規模も違うのでしょうね。
古代ロマンを感じます。
三輪明神。
たけのこが土中からコンニチワしてました。
八幡社。さきほどの八幡大神をお祀りした社かと。
左手に空海上人の石像もありました。
日限地蔵尊。
自分自身で期間を決めて、その日数を毎日お参りすれば、願掛けが成就されるそうです。
こちらが表門の参道。
牡丹まつりの時期は、両側に満開の牡丹が色とりどり咲き乱れています。
過去の牡丹まつりの写真を少し載せてみます。
来年は開催されるかなぁ。その時までにコロナ禍が少しでも収まっていることを願いたいです。