この日最後の目的地、西国三十三札所第二十五番、播州清水寺へ。
標高552mの御嶽山頂にあり、景行天皇時代に創建されました。
仁王門。
夏=ひぐらしの鳴き声、というのが子どもの頃の私の記憶にあり、なんともいえず懐かしい気持ちになりました。
しばらく歩くと、何かのお堂が見えてきました、
放生池の向こうに、大講堂があります。
その前にこちら。薬師堂。
平清盛の義母である池禅尼の創建と言われていますが、1984年(昭和59年)に再建されています。
標高552mの御嶽山頂にあり、景行天皇時代に創建されました。
仁王門。
山の中にある石垣の小道を歩いていると、あちこちから、ひぐらしの鳴き声が重なるように響いてきます。
夏=ひぐらしの鳴き声、というのが子どもの頃の私の記憶にあり、なんともいえず懐かしい気持ちになりました。
放生池の向こうに、大講堂があります。
平清盛の義母である池禅尼の創建と言われていますが、1984年(昭和59年)に再建されています。
薬師堂の中は撮影自由。
仏様を囲むように、奈良のマスコットキャラ「せんとくん」のデザインで有名な籔内佐斗司さんによる、木彫りの十二神将がずらり。
札所本尊として、千手観音がお祀りされています。
同じ西国三十三所の札所で、京都市の東山にある音羽山清水寺と区別するために、播州清水寺と呼ばれているそうです。
縁起では、景行天皇の時代に、渡来の法道仙人が御嶽山で祈願し開山し、水が少なかったこの地で祈祷を行い、霊泉が湧き出るようになったと伝わります。
大講堂から見上げる先に、石段が。
けっこう、ありますねコレ。
主人ネコ男氏と顔を見合わせ、「よし、やるか!」とばかりに歩を進めます。
ご覧の通り、途中に踊り場的な箇所があり、三段階に分かれています。不思議と三段階の途中までは一気にサクサク行けました。「本日最後だから」と脳がバグったのかもしれません(笑)。
しかし残り5段くらいで足が止まり、そのあとが、もうしんどいったらありゃしない。もう今日はこれ以上は石段は登らん!と心の中で思いつつ、ゼェハァと荒ぶる息を整えます。
根本中堂。
推古天皇三十五年 (627年) 創建、大正時代初期に焼失し、1917年(大正6年)7月に再建されました。ご本尊は、十一面観音立像。
両脇の毘沙門天立像・吉祥天立像とともに、30年に一度だけご開帳される秘仏となっています。
お堂の中に入ることができます。「湿気やネズミが入るから必ず扉をしめてください」との注意書きがありましたので、ぴっちり閉めさせていただきます。
ご本尊は秘仏なので、御前立(おまえだち)の観音様が厨子の前にいらっしゃいます。東京芸大名誉教授の菅原安男先生による昭和58年の木彫りの像で、印象としては親しみやすい、可愛らしい、そして綺麗な像だなと思いました。
さて、ここから森の中を抜けていきます。
森を抜けて駐車場まで戻り、さて、これにて本日のミッションはコンプリートです。あとは無事に帰宅するのみ。
新名神高速道路の宝塚北SAにて休憩。
初めて来ましたが、広くて大きくて、建物がスペインぽいというか、綺麗でした。
宝塚歌劇やベルばら、手塚治虫先生にちなんだお土産や、フードコートの他にも軽食系のお店が色々あって、なかなかの規模。
主人と「これは…本気で土産物を見始めるとボルテージ上がってキリがなくなるパターン!」というわけで(手塚治虫コーナー見たかったけれども)、トイレを借りてアイスクリームを食べるという当初の目的のみを完遂することにしました。
ここは通路。通路にもベンチ席や色んなお店があります。
女性トイレに行くと、「おぉ、どこかで見たことあるこの感じ。あ、デパートの化粧品フロアの感じや!」と思いました、ラグジュアリー感が溢れ出る美しいトイレでした。
私が女性トイレのゴージャスさを力説すると、主人ネコ男氏もいそいそと男性の方へ旅立ちました。ほどなく戻ってくると、やっぱりすごかったとのことです。
この日は鳥取の観光キャンペーン中でした。
通路に、鳥取県を代表する(と私が勝手に思っている)ゆるキャラのトリピーがいました。
鳥取名物の二十一世紀梨と鳥を合わせたキャラです。よく見ると梨のヘタが頭にありますね。
私は20代半ば頃、2年間ほどゆるキャラにハマった時期がありまして、当時の推しが、このトリピーでした。二十一世紀梨が大好物であること、セーラーのお洋服の組み合わせ、何を考えてるのかわからない黒目がちな瞳にやられました。
すみません。まさかこんなところでトリピーと会えると思ってなかったので、思わず暑苦しく語ってしまいました。
真夏に一日四箇所はなかなか体力を使いましたが、無事に行って帰ってくる事が出来て、良かったです。