大和川沿いの静かな集落の中を車で走りました。
細い道でとても風情があります。大和三道のひとつ、「中つ道」。
古いお家が多い。いい雰囲気だ。ゆっくり走って行くと社叢が見え、駐車場に到着。

駐車場から入ってきた道を撮影。鳥居の向こうは田園地帯が広がっています。

駐車場から砂利道の参道を歩くと、黄金色の木々がお出迎え。
田原本町、村屋坐弥冨都⽐売(むらやにますみふつひめ)神社。

通称、村屋神社。別名、森屋の宮。
古代豪族の超有名どころ、物部氏ゆかりの神社。


幟が沢山立ち並んでいます。

多神社にもあったのと同じタイプの石灯籠が両脇にズラリ。イチイガシが群⽣する照葉樹林の社叢は貴重なもので、奈良県の天然記念物に指定されています。
奥にある社殿がふんわり光っているかのようです。参拝前にワクワク。

参道を抜けると、まさに森屋の宮にふさわしい雰囲気。

正面に社殿が鎮座していました。

手水舎。

ふくろう?みみずく?かわいい。

光が差し込む境内。



狛犬さんたち。


こちらの宮司さんはデザイナーを兼業されているそうです。なので、境内のあちらこちらにイラストが沢山あって、イメージしやすい。


御朱印もカラフルで沢山の種類がありました。

社殿にどんぐり。こういうのホッコリする。

こちらの拝殿でご祈祷などされるようですね。

来年の2月の祭礼のお知らせ。

拝殿前から。ひと気はなく、静かで穏やか。

境内社の久須々美神社。


元々は伊豫氏の氏神として蔵堂橋のたもとに鎮座されていたそうです。

拝殿裏へ。足元にはどんぐりがこれでもかと落ちている。

本殿が見えてきました。
左手に並ぶような形で境内社があります。

服部神社。

元々は神来森(かきのもり)という場所に鎮座していて、波登里村、阿刀村の氏神でした。村そのものが消滅し、今はこちらに鎮座されています。

こちらから本殿が間近に見えます。

大物主命の后神とのことで、桜井市の大神神社の別宮とも言われているようです。
社殿最後の大きな木が、守るように生えているのが印象的でした。

村屋神社。
元は初瀬川の川辺にありました。今は本殿を守るかのような形で鎮座されています。


⽇本書紀に、このような記述があります。
「壬申の乱」において、村屋神が大海人皇子方の大伴吹負に「敵が来るので中つ道を防げ」 と神託を下しました。その功績により神階が授与されました。
最初、私は「主祭神である三穂津姫命が村屋神?」と疑問符浮かびまくりでしたが、記述にある村屋神は、こちらの村屋神社の御祭神のことなのですね。
案内板イラストが、実に軍神ぽいので納得です。

歴史が動くときの拠点となる場所だったんですね。

最初にチラッと見て気になって仕方がないこちらの境内社へ。

宮司家の祖先である物部守屋など、物部氏の祖神をお祀りしています。
神職は代々、守屋氏が世襲されているとのこと。すごい家系ですね。
イラストで見る守屋さん、めっちゃワイルド系。強そう。

物部神社。社叢の中に静かに鎮座されていました。

境内の案内イラストのおかげで、色々と分かりやすかったです。ワクワクするような楽しい気分でお参り出来ました。

壬申の乱から幾星霜過ぎたいま、ここは縁結びのお社として、ほっこりした空気感を与えてくれます。
優しい木漏れ日の参道を通り抜け、おいとましました。
