豊国神社から七条通りへ。三十三間堂と京都国立博物館の様子を眺め、東大路へ右折。
今熊野商店街を進み、左折。
緑につつまれた坂道をしばらく走ります。

数年前、主人と西国三十三か所巡りの際に、隣接している今熊野観音寺に来ました。その際は泉湧寺はパスしていたので、改めて来たかったのです。
大門。
「東山」 の額を掲げて東山門とも呼ばれます。

御本尊は釈迦如来、阿弥陀如来、弥勒如来。
創建年は斉衡3年(856年)と伝わります。
皇室の菩提寺として御寺(みてら)と呼ばれています。

大門をくぐると右手に拝観受付。
なだらかな降り参道となっています。
この光景が泉湧寺ならではのもの。

平安時代、弘法大師空海上人が草庵を結んだのが創祀とされています。
実質的な開山とされるのが月輪大師(がちりんだいし)。
清泉が涌く寺として、泉涌寺と名付けられました。

月輪山の麓に位置する寺域内には、月輪陵があります。
四条天皇以来の歴代天皇・皇族の25陵・5灰塚・ 9墓がおさめられています。
今回は行ってませんが、ここから歩いても5分くらいだったかな。
降り参道右手にある浴室。

降り参道を下がった正面になるのが仏殿。
寛文8年(1668)、四代将軍徳川家綱公によって再建された本堂。

中に入ってお参り可能。
うっすらとした自然光の中に浮かび上がるのが、 運慶作とされている阿弥陀、釈迦、弥鞠の三世仏。現在・過去・ 未来をあらわす。

仏様はもちろんのこと、高めの天井で組物が美しい。不思議な抜け感がある。
三世仏の頭上には「雲龍図」。狩野探幽の筆。
天井で剥落部分もあり、はっきりと龍とわかる感じではありませんが、よく見えるパネルも手前に用意されているので親切。
お堂の背後には「白衣観音」。こちらも狩野探幽の筆。
一瞬「達磨さん?」かと思いました。豪放磊落で伸びやかな観音様でした。

仏殿から見る紅葉。

仏殿向かって右手にある泉涌寺水屋形。
泉涌寺の名の由来となった清泉を覆う屋形。


近づいて中をちょっと覗いてみる。暗くてよくわからない。

しかし水音がしました。 泉水が尽きることなく涌き続けているのですね。

お隣にある清少納言の歌碑。

舎利殿。
釈迦の歯(仏牙舎利)を奉安する貴重な霊殿。
内部は非公開。

その奥にあるのが霊明殿と御座所。

霊明殿は歴代の天皇や皇后、皇族の尊牌(位牌) が奉安されています。

御座所は皇室ゆかりの建物。現在も皇室の方々の御陵御参詣の際の御休所として使われています 。
ここからは別途料金が必要。今回はパスしました。

結婚式のカップルが和装で前撮り撮影されていて、「うんうん。 紅葉も綺麗だもんね」とほっこりしました。


降り参道を大門の方へゆっくり登っていきました。

大門の東側に雲龍院へと向かう道しるべあり。行こうか迷ったものの今回はパス。


個人的には泉湧寺と聞くと、こちらの楊貴妃観音がパッと連想される。
ずっと来たかったんだ~とワクワクしながらお堂へ。

六羅漢像の中央に聖観音(楊柳観音)が安置されています。
湛海律師が寛喜2年(1230年)月蓋長者像・ 韋駄天像などとともに南宋から請来した木像。
境内前の案内板の写真がこちら。

木!木なのコレ!と目が悪い私は思わず穴が開くほどガン見。
ツルツルなんですけど。鋳造じゃないの?これはお美しい。
その美しさから玄宗皇帝が亡き楊貴妃の面影を写させて造像したとの伝承が残っています。
こちらの堂内では、御札やおみくじ、お守りなどが販売されている。
その中でレース刺繍のお守りがあり「ひゃー!綺麗。どれか欲しい」と物欲全開で数分かけて真剣に選びました。
どれも綺麗で、迷った末にこちらを。秋っぽい風情で気に入ってます。

大門をくぐり泉湧寺を後にし、車に乗る前に、隣接する今熊野観音寺へ行くことにしました。

