週末の昼食後、主人ネコ男氏が突然「よし。今から亀岡城に行こう」と言い出しました。
亀岡城は、別名亀山城。京都府の亀岡市にある城址で、明智光秀公のお城でした。
そういえばこのひと、「お城がすき」って言ってたな。一路、車で亀岡市へ。
国道を使い約30分ほど走ると、亀岡市街地に到着。
亀岡城址のお堀の一部である南郷公園。
釣り糸を傾けている人が沢山いはりました。
光秀公のブロンズ像。
ここで、ネコ男氏がもぞもぞしながら「ちょっとそこまで、う○こしに行ってくる」と、駅の方へ歩いて行きました。
私は「…あ、はい」とそれを見送り、一人で光秀公の横にあるシャチホコを眺めていました。
突き当たりがJR亀岡駅。大きくて立派な駅舎。向こう側に京都パープルサンガのサッカースタジアムがありました。
さて、ネコ男氏がお花摘みから戻ってきたので、色々調べてみたところ、亀岡城址は、現在は大本教の本部として管理されており、城址の一部を見学するには、大本教の本部で受付をする必要があるそうです。
最初に到着し、車でぐるっと一周した時、確かに大本教の建物と大きな駐車場がありました。そこに駐車して、中に入るようになっているんですね。
結局面倒になったのか、「ま、もういいか」というネコ男氏の一声で、中には入りませんでした。
それならば…と向かったのは、亀岡市の出雲大神宮。10年くらい前に、自宅から原付バイクで来たことがあります。
亀岡城址からは、車で10分くらい。のどかな山間の田園地帯を抜けると、白い鳥居が見えてきます。一旦通り過ぎて、田園地帯にある大駐車場に車を停めました。
私の実家エリアによく似ています。
懐かしい!
ネコ男氏が「わぁ〜これ、家の近所によく咲いてた」としゃがみ込み、写真をパシャパシャ撮っていました。普段、あまり写真を撮らない御仁なので珍しい。
オオイヌノフグリ。山岸涼子ファンとして、天人唐草と呼ばせていただこうかな。
鳥居に入る手前に、神饌田がありました。
上に登ってみれば良かった。
出雲大神宮。翌日の節分祭の準備中。
参道では、地元の野菜やお米、お煎餅などを販売されていました。
売り子のおばあちゃんたちがニコニコしながら「ようお参り〜」と笑いかけてくれたので、和みました。
撫でうさぎ。ころんとしてます。
御本殿エリアが見えてきました。
丹波の国の一之宮。御鎮座は神代の昔、1万年以上前と言われています。い、1万年以上前…思わず手塚治虫先生の「火の鳥」を思い出しました。
社殿は西暦709年に創建されたそうです。
手水は龍神。
さぁお参りお参り。
御本殿では御祈祷中。
ネコ男氏曰く「ほぉ〜なんか得した気分」とのことで、私も同意。
近くのテントには、次の御祈祷を待つ方々が待機されていました。
大黒恵比寿社。焼き物の大黒さんと恵比寿さんが祀られていました。ここでもネコ男氏はしゃがみ込み、間近で写真を撮影。
「なぜそんなに?…まさかブログやってんじゃないだろうな」と心の中で思いました。
私は自分がブログを書いている事は、周りには極秘として隠しておりまして、ちょっとドキッとしました。
夫婦岩。
弁財天社。背後の池は干上がっていました。
真名井の泉。岩の三方向くらいから、水が噴き出していました。天然?何か仕掛け?
ここでもネコ男氏が「岩の中にバイトの学生が入っとって、ストローで水吹いとるんちゃうか」とか小声で言ってました。「時給いくらやねん」とツッコミながら、説明を拝見。
真名井の泉には注連縄がかけられ、拝礼される方も多く、日本のアミニズムを感じました。
こちらから汲むこともできます。煮沸必要とのこと。
ペットボトルを持ってくればよかった。
なんか罰当たりな事をたくさん言ってたような気がしますが…いつも一人で回ることがほとんどなので、たまに誰かと来ると、これはこれで楽しい参拝となりました。
帰宅してから神社のパンフレットを読み、こちらのお社の想像以上の古さにビックリしました。
昔は、愛宕山、更に、飛び地として、私の実家があった京都市西京区の大原野神社が傍に鎮座する小塩山もここの神領だったそうです。
えー!ビックリです。
鎌倉時代以降の争乱で神領ではなくなったそうですが、小塩山に何らかの出雲大神宮の痕跡が遺されているかもしれませんね。