先週のお休み、車で奈良へ出かけました。ちょうど夜明け頃に、橿原市に入りました。
駅前の商店街を抜けて、線路を渡ったところに最初の目的地。
橿原市、宗我坐宗我都比古(そがにますそがつひこ)神社。

駐車場は写真の鳥居の右側。数台駐める事が出来ます。朝イチなので問題なく駐車出来ましたが、広くはないので、人や車通りの多い時間帯は要注意ですね。

雲一つない夜明けの空。
ひと気はなく、静かでした。

手水舎には青々とした植物が。

参道脇の狛犬さんたち。かなり古そう。


参道から奥に向かって、広い空間となっています。

主祭神は曾我都比古神、曾我都比売神。
創建時期については諸説あり。
推古天皇年間(593年 - 628年)もしくは、持統天皇年間(690年 - 697年)。
別名、入鹿宮。
古代豪族である蘇我氏の祖神をお祀りした神社とされています。

正直なところ、あの、超有名な蘇我氏の神社にしては簡素だなと思いました。
蘇我氏の本貫については、いくつかの候補地があるそうです。ここはその一つ。
・大和国高市郡(現在地付近)
・河内国石川郡(大阪府富田林市付近の石川沿い)
・大和国葛上郡(奈良県御所市界隈)
とにもかくにもお参り。

振り返ると東の空が明るい。日の出が近い。

拝殿前の狛犬さんたちは比較的新しい。


創建に関しては諸説あります。
・推古天皇の時代、蘇我馬子が祖先にあたる武内宿禰と石川宿禰をお祀りする神殿を蘇我村に創建したとする説。
・持統天皇が、蘇我氏の滅亡を哀れみ、傍流である蘇我倉山田石川麻呂の次男である徳永内供に紀氏を継がせ、内供の子である永末に、祖神を祀るための土地を与えて、社務や耕作を行わせたことをもって創建とする説。
現在の御祭神名も時代によって色々変遷したようです。我々にはあずかりしれぬ複雑な歴史がありそうです。

拝殿の背後に回ってみました。
瑞垣の向こう、本殿が見えました。
周りは住宅街ですが、背後は林のようになっています。

神社一帯は、 弥生時代から古墳時代前期の遺構である中曾司遺跡が広がっています。
奈良という土地なので、古代の豪族が群雄割拠していたことを思うと、あちこちに掘れば掘るほど遺跡があるんだろうな。
境内近辺でも多くの遺物が出土しているそうです。

境内社。

東の空には太陽が顔を出し始めていますが、ふと見上げると境内上空に月が。

中大兄皇子と中臣鎌足による蘇我入鹿の暗殺と、父親である蝦夷の自害によって、蘇我宗家は滅亡。
私は山岸涼子さんの「日出処の天子」のイメージが強く、それを思うとしんみりしてしまう。
古代の大和はどんなところだったんだろう。

というわけで、今回は古代の豪族ゆかりの神社をいくつか回ってみることにしました。
橿原市を後にし、磯城郡田原本町方面へ移動します!
