yukixうろうろ日記

京都在住。関西を中心にうろうろしてます。

今年の暑さ

本日、至極、個人的な話題で、申し訳ないのですが…。


日曜日の早朝、母の具合が悪くなり、救急車を呼んだ。
父も高齢なので、こういう時に色々やるのは、私の仕事である。

実は、私は、日曜日に、仕事に関するとある試験を受ける予定で、ちょっと緊張しており、眠りも浅かった。なので、父が部屋をノックした瞬間、飛び起きた。
高齢の両親が、明け方に部屋をノックするのは、何か異変があったときだ。
今までも何回もこういうことがあったので、速攻、救急車に連絡。


8月末に、ちょっとお腹が痛い、ということで、大腸検査を受けた。
検査結果には何の異常もなかったのだが、検査後、身体の不調は変わらぬままだった。
その後も、病院にて検査を行い、様々な科を受診したが、原因は不明。
実際に出ている症状は、「上半身がチクチクする。お腹が特に苦しい。縄で縛られているような感じ。検査されてからおかしい。食欲がなく味覚がない。不眠」である。


救急で、かかっている病院に着いたものの、身体はやはり健康そのもので、処置のしようがなく、医師の先生方も、困っている。そりゃそうだろうな。だって健康なのだから…。
ただ、母本人の状態としては、「インフルエンザで高熱出してうんうん唸っている人」のような状況なので、本人としても、こちらとしても、「うわー!どうしよう。どうすりゃいいの」というところであった。
しかし、それ以上、処置室にいてもしようがないので、先生と看護士さんにお礼を言い、タクシーで帰宅した。
母はウンウンと唸りながら、「○○病院に行ってみたい」と希望を出した。
モウすぐになんとかしてくれ!といった状態だったので、私は帰るなりネットで調べた。
ぐあー。日曜日だから当然休診だよ!
と、焦燥感にあおられつつも、母に「今日は○○病院はお休みだから、明日行こう」と伝えた。母はもう「まてねーーよ!!辛抱できんわー!」と言いたげな顔であったが、「そうか、わかった」と答え、寝た。


すでに、試験の集合時刻が近づいていたので、担当事務室に「今回の試験は棄権いたします」という旨を連絡すべく電話をすると、当然のごとく、試験当日は準備&日曜日で、事務室には猫の子一匹いないのであった。
ダメモトで、試験が行われる建物の電話番号などを調べたが、探し出せない。

ぎょえーー。
どうする!?

このままでは「試験当日にブッチした女」という烙印が押され、K大構内に入った瞬間に、各校舎から、石つぶてを投げられ、「やーい。ブッチ女」と、そしられるのだ。きっとそうだ。

それは、イヤじゃぁ!

というわけで、急遽、同じ試験を受ける予定の同僚に電話し、事情を話し「試験官に事の次第を伝えてほしい、改めてきっちり連絡はさせてもらう」と伝言をお願いした。
まるで「バイト休むんだけど、バイト先に電話するのだるいから、バイト仲間に伝言を頼むひと」みたいな気がして、かなりイヤだったのだが、ブッチするよりはマシだ。
同僚は快諾してくれて、「試験側、了承の旨」の一報も聞き、ホッとした。



そして今朝、いざ、○○病院へ。家からは遠い。1時間はかかる。
母はもう憔悴しきっている。ほとんど寝ていない。
父に留守を任せ、職場に休みの連絡をし、車を運転しながら、色々な事を考えた。
受付から検査、診察に至るまで、大きく広い大病院の中を歩くだけで、母は消耗していた。
主に座ってもらって、私が手続き等を行ったのだが、検査や診察は、本人に動いてもらわねば、しょうがない。
一つの検査が終わり、椅子に座る度に、母はうわごとのような呼吸を繰り返し、椅子の上でうつぶせで寝転んだり、横になったり、頭をかかえてうずくまったり、私は隣にいながら、不安で不安で仕方なかった。
診察結果を教えてもらうと、やはり「身体は健康そのもの。血液検査も異常なし。心電図もレントゲンも健康体そのもの」であった。

原因として考えられるのは、
「今年の夏の暑さで体が参った→ちょっとお腹にきた→健康に人一倍気をつかっている母は、大腸検査を行った→検査で、大量に水を飲んだり出したりすることで、身体に負荷がかかった→疲れて食欲なくなる→食べなくなると味覚も落ちる→胃腸も動きたくでも動けない→味覚がなくて美味しくないのであまり食べない→余計に胃腸の動きが止まる→そのせいで、大腸が動かないので、お腹のあたりがちくちくしているのだろう→おながチクチクして気持ち悪いから食べたくない→悪循環」
ざっと、こんな感じではないだろうか、と医師から説明された。
母は、これにおおいに納得し、身体は健康そのものであることに安心していた。
とりあえず、食べて寝ること。それが治療法である。


帰宅し、母用のおかゆなどを作り薬を飲ませた後、再び買い出し&先日駆け込んだ救急搬送先の病院へ清算に行った。
一人でバイクに乗りつつ、「介護というのは、ほんとうにすごいことだな」と実感した。
私の場合はまだ介護まではいっていないのだが、両親ともに、いつそうなってもおかしくない状況である。
そうなったときに、自分の仕事+家事+両親がやっていた飲食店のもろもろ手続き+父の介護+母の介護…と考えたときに、ひとりでやっていけるんだろうか、と思うと、胃腸がキリキリしてくるが、そこは考えたところでどーしようもない。やるときにはやるしかないと思っている。こういうのって、みんなが通る道だからな。


だがしかーし。
私がもっとも「おええ」となっているのが、「両親がやっていたお店のもろもろ処理」である。

飲食店をしていたのであるが、実は、10月いっぱいで、閉店することに決まっていた。
閉店後は、賃貸物件として、別のお店が生まれる予定である。母はこのことが決まって、ウキウキしていた。
その矢先に体調を壊した。現在の状況では、お店をやることは不可能だ。
ここで、相談の結果、急ではあるが、少し早いが、もう閉めることにした。
というわけで、早速、母のかわりに、パートさんに連絡をしなくてはならない。今までお店にはほぼノータッチだった私が、パートさんに事の次第を話し、お給料のお話などをさせていただくのは、正直、緊張のあまり、首筋が痛くなるレベルであった。

しかも、こないだの臨時休業の連絡をした時に、パートさんは、かなり怒っていたらしいのである。そりゃ、向こうさんも生活かかってるもんね。もう、それを聞いただけで「おええ」であった。
受話器を取り、覚悟を決め、「おしゃー。出てこい仕事モードの私!!」とスイッチを入れ、怒っているというパートさんの携帯電話に、連絡した。
母の状況を説明し、お店はもう閉めるということなど、もろもろ、エトセトラ、お話をさせていただいた。
内心「おええ。私は絶対経営側にはなれんな」と思いつつ。
怒鳴られてもひたすら謝罪すべし、と決めていたのだが、パートさんは怒ることもなく、事なく、終了。

今後、賃貸不動産契約や、閉店する両親のお店の整理などは、ほぼ私の任務となるので、まだまだ「おええ」となる要素は満載なのだが、ま、ちょっとづつ大人の階段のぼろう…。


そんな感じで、いま、寝ている母でありますが、おかゆ、ラブレ、生姜屑湯、今日もらった薬などを口にし、胃腸が動き出したみたいで、「ブー。ブー。ブー」と三連発ほど、オナラが出た。
「オナラが出た!動き出した」と両親ともども、喜んでおります。

ほんと、今年の暑さは、えらいものだったのですね。
あなどれん…。

長文失礼いたしました。