先週末の夕方、いつものように義父宅に行くと、台所の引き出しに、何かが…。
引き出しの取手の面が、経年劣化で外れてしまったのですが、接着剤でとめてありました。
義父の張り紙、迫力がある。
現在、無事に接着が定着し、張り紙はなくなっています。
さて、ついに再来週から、通常出勤になる予定です。
おお、大丈夫だろうか。わたし。
正直、今の交代制出勤がすごくラク。
でも分かっている。今は良くても、年度末が近づくにつれて、修羅場が待ち受けていることを…。
ぼちぼちがんばりまっしょい。
五条大和大路界隈にある、六波羅蜜寺(ろくはらみつじ)に到着しました。京町家や路地が広がる京都らしい一帯で、落ち着いた雰囲気のなかにあります。
天暦5年(951)、醍醐天皇皇子である空也上人により開創されたお寺。平安後期、広大な境域内に平家一門の邸館が栄えたとされています。歴史の教科書などに出てきた「六波羅探題」が置かれたところですね。
16歳くらいの頃に来た事があるのですが、いやー、実に久しぶりです。
門から入って左手の受付で拝観料を支払います。
都七福神のひとつ、六波羅弁財天のお堂があります。お堂の奥に金色に輝く弁天様、手前にある香炉の獅子。ニカッと笑ってます。「オッス!おら、獅子!」と心の中でアフレコしてしまいました。
平清盛公塚と、阿古屋塚。
仏頭がお祀りされていますね。こういっちゃなんですが、こけしのようだ…。
本堂。ご本尊は十一面観音。この日は三十三間堂に続き、十一面観音さんデーですね。
この本堂にて、開運推命おみくじ、というものを受ける事が出来ます。400円です。
友人が毎年もらっており、「迷った時に、指針として、なかなか参考になる。yukixもやってみたら?」と、年明け頃にオススメされていたのでした。
受付の手前にあるファイルは、自分の生まれた年と月日などを組み合わせた数字の一覧表。その数字を受付に申告します。
すると、このようなおみくじを渡されます。旧暦の正月からの1年間なので、現代だと、毎年2月4日からの1年間の運勢となります。
ざっと見ていただいてもわかる通り、あちゃー、な内容ですね( ;´Д`) 他人の厄介ごとに巻き込まれるとか、損失が出やすいとか…。
指針として参考にさせてもらいます!
本堂から奥に宝物殿があり、受付で検温を済ませてから、中に入ります。
ここには、口から6体のちっさい仏様を出している、有名な空也上人像などがあります。
こないだ見たアフロ仏様もそうですが、この、口から仏様を出しちゃおう!ていう発想が最高だなと思います。
境内には、銭洗弁財天、水掛不動尊も。
六波羅蜜寺の近くにある、あの世へ続く井戸がある六道珍皇寺や、枯山水のある建仁寺にも、久しぶりに寄りたかったのですが、またの機会に!
東山七条にある、蓮華王院へ行ってきました。
蓮華王院というとピンと来ないかもしれません。国宝、三十三間堂のあるお寺です。しばらくは新型コロナウイルスのため拝観停止していましたが、昨日15日から再開となりました。マスク着用、手の消毒などの対策がとられています。
2013年に、まだ認知症が発症していなかった実母とお参りさせてもらいました。7年ぶりです。
車は、境内の広い駐車場に無料で停めさせてもらえました。ありがたし。
駐車場から受付へ。
受付で、こちらのお守りをお受けしました。
期間、数量限定と思われます。病魔退散悪疫守護のお守り。またもやありがたし!
受付を抜ける、その先に三十三間堂に入る前の下駄箱エリアがあります。
2013年に来た時はもっと古い感じでしたが、明るくて綺麗にリニューアルされていました。
ここで手を消毒し、いざ、廊下を歩いて行くと、三十三間堂の内部に入ります。当然、写真撮影は禁止となっています。
長寛2年(1164)、鳥辺(うのべ)山麓の後白河上皇、院政庁「法住寺殿」の一画に、平清盛が造進。約80年後に焼失するもすぐに復興に着手され、文永3年(1266)に再建。室町、桃山、江戸、昭和の大修理を経て、700余年保存されています。
これは外側から撮った三十三間堂。
約120メートル。正面の柱間が33あることから、三十三間堂と呼ばれています。
堂内には1001体の観音様、雷神風神、二十八部衆の仏像がお祀りされています。お堂も、お堂の中の仏様も、すべて国宝。
お堂の中には、超絶巨大なひな壇、といった感じで、ズラーーーッと仏様が鎮座されており、まさに圧巻!です。
ぱっと見たところ、10人くらいの参拝者がいましたが、午前中だったためか、静かで落ち着いた雰囲気。
中央の十一面千手千眼観世音を真ん中に、左右に各500体の観音様が勢揃い。
なんせ1001体のひな壇なので、後ろの方はもう見えないのですが、数の力というか、迫力あります。
創建当時の平安時代から残っているものも、124体あります。他の800余体は鎌倉時代。
手前にある観音様をじーっと見比べていると、本当に一体ずつ顔が違います。
こちらは大森南朋ぽい。お隣は篠井英介さん、そのお隣は及川ミッチーに似てる…などなど、もう、ありがたい国宝の仏様を目の前に、楽しみまくりました。
2013年にお参りした時のブログに書いた、ばちあたりイラストが残っていたので、のせてみます。
入り口から見て行き、最後の方に、仏師界のスーパースター運慶さんの息子さん、湛慶さんが作った観音様が前列に並んでいます。
全体の両端には、風神さんと雷神さん。これも2013年に書いたやつですね。本当にばちあたりだな。実物は100倍マッチョです。
そしてひな壇の観音様の前方に、二十八部衆が立っておられます。千手観音とその信者を守る神々で、インド起源のものが多い。
いずれも玉眼がはめ込まれていて、目に力があるというか、リアル。ちっちゃい龍を抱っこしている仏様や、琵琶と思しき楽器を弾いている仏様などなど、見応えあります。
こちらも思わず「これは完全に石原良純さん」「ああっ。加藤諒君にしか見えん」など思ってしまい、真ん中の巨大なご本尊に叱られるのではないかとヒヤヒヤです。
さて、さーっと見ると5分から10分くらいで終わるのですが、そんなわけで、気がつくと30分くらいガン見していました。
自分の中ではそんなに時間が経っていたとは思ってなかったので、満喫してたんでしょうね。
沢山の仏様がいはるので、その中からご自分にとってピンとくる仏様と出会うのも、楽しいかもです。
ちなみに私は、ひな壇一段目の作者不明の第120号尊像(観音様には、それぞれ番号がふられていました)に、妙に惹かれました。
ちょうど、あまり人もいなかったので、木の柵にもたれてジーッと見ていると、身体がほわほわしてくるというか何というか、ぼーっとするというか、癒されました。
ちなみにですが、私のオススメ見仏ポイントがあります。文章の説明がわかりづらいので、下手くそですが簡単な図を書きました。
最後まで見終わったあと、殆どの方が素通りしていますが、後ろの通路に行く手前のひな壇の横が、観音様に近いです。
普通に正面から見てもそこそこ近いのですが、この横から見るとですね。横並びに、ズラーーーッと整然と奥へと並んでいる様が見えて、なかなか圧巻です。
ひな檀の仏様は、私より高い位置に立っているので、足元や下半身が私の目の高さくらいにあります。
その目の高さから、奥へズラーーーッと並ぶ観音様の肢体。吸い込まれそうです。
そして、フッと見上げると観音様のアルカイックスマイルなお顔があり、目が合ったように見える瞬間、ドキッとします。
「おもしろいか?」とクスクス笑いながら言われているかのような気持ちになりました。
背後のお姿も見る事が出来るので、お堂の裏に回る前に、ぜひ立ち止まってみてください。
いやー。お堂を出たあと、なんだか温泉に入った後みたいな、さっぱりしつつも、ほわほわした心地でした。
なんかもう充分なんですけど、「おお。アレをもらいに行かなくては…」と、私は一路、大和大路へと向かいました。続く!
車で走ること数分、北白川丸太町の交差点近くにある、東天王岡崎神社へ。
5年以上前に、朝の通勤前にお参りした事があります。それ以来です。あのときは通勤前だったので時間がなく、ゆっくり出来なかった覚えがあります。
桓武天皇延暦13年(794)平安京遷都の際に、王城守護の為、平安京の四方に建立された社のひとつで、都の東(卯の方位)に鎮座する事から、東天王と呼ばれました。
御祭神は、素戔嗚尊(すさのおのみこと)、奇稲田姫命(くしいなだひめのみこと)、八柱御子神。
こちらは狛うさぎ。
ちゃんと、阿吽の一対になっていますね。
往時、背後の紫雲山を始め、境内一帯がうさぎの生息地であった事から、境内のいたるところにうさぎの彫刻が見られます。
うさぎが多産であることから、子授け、安産、厄除にご利益があると伝えられています。
本殿。
右が縁結び招きうさぎ。左は金運招きうさぎ。
よーく見ると、階段の金色の金具にも、うさぎの姿が見て取れます。
本殿前の狛犬&狛うさぎ。阿吽の口の形がシンクロしてて、思わず笑顔になりました。
提灯もうさぎ。
裏手の方にも回り込めます。
ただしこの季節、境内には蚊が沢山いたので、これから行かれる方は虫除けスプレー必須かと。
この時、御祈祷をお願いする方が多く、正装姿の神職さんが本殿内は入って行かれました。人気ですね。
手水屋形にある子授けうさぎ像。
右手奥の雨社。
元々は如意々岳(大文字山)の山中にあった石祠だったそうです。龍神様をお祀りしていて、雨乞いの社。安目社ともいい、目の病気平癒にご利益があるとのこと。
久しぶりに色々と市内の寺社を回ることが出来て、ありがたかったです。
今回は鳩から始まり、ねずみ、猿、とび、豆柴も、そしてアフロ仏を経て、うさぎで締めました。盛り沢山な出会いがあり、とても良い参拝をさせてもらいました。
さてさて、大豊神社から移動し、数分後に、紫雲山くろ谷、金戒(こんかい)光明寺に到着。
周辺は落ち着いた市街地の雰囲気で、京都ならではの古く伝統的な空気感。
浄土宗のお寺で、法然上人が比叡山の修行を終え、この地で念仏をされた時に、紫色の雲が全山にたなびき、光明があたりを照らし出したことから、浄土宗最初の念仏道場として開かれた場所。とパンフレットにありました。
駐車場から石段を登ると、目の前にドドドドという音を立てて迫ってくるような、大きな山門が近づいてきます。
境内に入りますと、左手にお休み処がありました。ここでゆっくりお茶飲むのもいいなと思いつつ、目の前の御影堂へ。
昭和19年に再建。内陣正面には、法然上人75歳の御影が奉安されています。
ドォーン、ドォーン、と太鼓の音が聞こえてきました。どうやら御祈祷が始まるようです。
中に上がらせていただくと、お堂の広さに圧倒されました。正面には、御簾越しに御影がぼんやりと浮かび上がっていました。その左右に、重要文化財の吉備観音、運慶作と伝わる中山文殊が。
この中山文殊は、勇ましい獅子の上に光輪を背負った文殊菩薩が鎮座していて、「うわー、なんかステキ」と思いました。
もしもですね。
この中山文殊様が紫色の雲の中から「そこのニンゲン。お前だお前。頭を良くしてやろう」と獅子に乗り現れたらですね…。たぶん「え、はい、あの、あの、獅子?獅子なの?」と獅子が気になって仕方ないだろうなと想像してしまいました。「忍者ハットリ君」のシシマルが本気の本気を出したら、こういう感じなのかな。
とか思っている間に、お坊さんの御祈祷は続いています。新型コロナウイルスの影響で、遠い他府県からの参拝が難しい為、お電話等々で受付をされているのかもしれません。沢山の方の願いが流れるようなお念仏で読み上げられていました。途中、一瞬「あ、えと」とお坊さんが噛んだ瞬間があり、「そりゃ、この早さでは噛むよね」と心の中でウンウンとうなづきました。
堂内で御朱印をお受けし、このあと見に行く五劫思惟(ごこうしゆい)阿弥陀仏の金平糖を購入。
御影堂を出ますと、先ほどまで御祈祷をされていたお坊さんが、欄干のあたりで、外に向かってお念仏を唱和されていました。
その声が朗々と響く中、御影堂の近くにある阿弥陀堂へ。
慶長10年(1605)、豊臣秀頼により再建。この中では最も古い建物。ご本尊の阿弥陀如来は、恵心僧都最後の作。「ノミおさめ如来」とも称されているそうです。
熊谷直実、鎧掛けの松。
この石畳の道が、非常に清々しかったです。
さてさて。見えてきました。
おぉ!顔はめ看板までありました。
墓地となっており、大河ドラマにもなった「江」の供養塔などもありました。
墓地の石段を少し登った左側に、目当ての五劫思惟阿弥陀仏のお姿。
気の遠くなるような長い時間、思惟をこらし修行をされた結果、髪の毛が伸びて高く螺髪を積み重ねた頭となられた様子を表したのが、五劫思惟阿弥陀仏。全国に16体ほどしか見られない珍しいお姿である、とのことです。
うーん、これはスゴイ!
その発想でこの仏像を彫るべ!と最初に決めた仏師さんは、なかなかの挑戦だったのではないかと。
「なんじゃこれ、奇抜なものを作りよってからに」と周りからバッシングされたりもしたのではないかと思います。もちろん、現代と昔の仏教とでは違う部分もあると思いますが、なかなかファンキーな…。
こちらは「アフロ仏」として有名で、さきほど買った金平糖のパッケージにもなっちゃってます。
穏やかな表情とモリモリの螺髪のギャップ、すっかりファンになっちゃいました。
ちなみに横から見たお姿。
なんとなく、コロナウイルス自粛期間中、髪の毛を切りに行けず、自宅で「頭がレゴブロックみたいになってきたぁ」と嘆いていた自分を思い出しました。
それにしても、さすが梅雨。雨は止んでいますが、京都独特の湿気がまとわりつくようで、境内を歩いているだけで全身が湿っているのが分かります。
車に戻りクーラーを強めにかけて涼んだ後、さて、最後にあそこに行くか!と、次の地に向かいました。
次に、北白川丸太町あたりにある金戒光明寺に行こうと思い、車のナビをセットしました。以前、一度バイクで門前を通りかかった事があるので、だいたいの場所はわかります。
しかし、どういうわけか、ナビが金戒光明寺とは少し違う場所へと車を誘導します。
これがちょっと不思議な話になるので、「へー。そんなこともあるんかいな」くらいの感じでお読み下さい。
あれれ?と思いつつ、ナビが「目的地に近づきました」と案内を終了したのが、この大豊(おおとよ)神社の鳥居前でした。
実は、朝に出発する時に「えーと、三宅八幡宮と光明寺と…この大豊神社はどうしようかな。今日は行けたら行くくらいで、別にいっか」と思ってました。
金戒光明寺を次の行き先に指定したはずなのに、どうして?とビックリしましたが、ここまで来たら、そりゃもう、お詣りしますよね。
というわけで、ちょうど近くにタイムパーキングがあったので、そちらに停車し、改めてナビの履歴を確認しました。
履歴は、間違いなく「金戒光明寺」と入力していますが、その次くらいに、たまたま私の指が当たったのかどうか不明ですが、心当たりのない住所が入力されていました。
たまたま指が当たったその住所が、どうやら先ほどの大豊神社だったようです。
それにしても、偶然ぶりがスゴイ。
ちょっと感動しました。
さて、前置きはこれくらいにして、大豊神社は、京都の名所のひとつである「哲学の道」の近くにあります。琵琶湖疎水沿いの遊歩道で、京都大学の哲学者、西田幾太郎らが好んで散策したことから、この名前がつけられているようです。
私もこの辺は滅多に来る事がないのですが、静かで文化的で良い所ですね。
鳥居をくぐると、案内板がありました。
どうやら、ここには色々な狛犬ならぬ狛動物がいはるようです。
雨は上がっていますが、しっとりした風情のある石畳が続きます。
紫陽花の咲く参道。
狛犬さんが睨みをきかせています。
さぁ、やってきました。
手水舎。椿ヶ峰の御神水。
石灯籠に色々な干支と思しき置物。
よーく見ると、ブラキオサウルスや狐も。
鳥居をくぐると、「クゥーン、クゥーン」と鳴き声。周りを見ると、社務所の玄関あたりに、かわいい番犬さんが。
豆柴ですかね。まだ小さくてコロコロしてます。
神紋の檜扇の入った犬小屋が仰々しい雰囲気で、一瞬ひるみました。すごいなぁ。
境内の様子。山が近いことと雨の湿気で、緑の気配がすごく濃い。
鹿ヶ谷一帯の氏神様で、仁和3年(887)に、宇多天皇の平癒祈願のために、創祀されたそうです。
本殿手前に狛巳。とぐろを巻いた蛇。
日吉社には狛猿。
愛宕社には狛とび。
狛とびは、さすがに初めて見たなぁ。
こちらはお稲荷様ですね。
大黒社。
阿吽の狛ねずみ。何を持ってるのか。宝珠と巻物?
今年はねずみ年なので、新年明けは沢山の方が来られたのではないかな。
社務所で御朱印をお受けしている時に、神職さんのお母様と思しきご婦人が、椿ヶ峰の御神水のお話をして下さいました。
椿ヶ峰からのお水を引いていて、水質は検査済で、そのまま飲める。ただし、雨の時などは土砂が混じるのか、濁ってしまうそうです。
逆にいうと、正真正銘、椿ヶ峰から引いてる水ですね。ペットボトル持ってくればよかった。
さて、次は改めて、金戒光明寺に向かいます。
梅雨シーズンの始まり。
曇天、時々雨が降る中、左京区へ行ってきました。
いくつかの寺社を回ろうと思い、だいたいの位置を決めて車を走らせ、目星をつけておいた所に、行けそうならば行くという感じで、北白川通りを北上。
三宅八幡宮に到着。通称、虫八幡。
子どもの守り神、虫退治の神様。
遣隋使の小野妹子が、聖徳太子の没後、上高野の地に移り住み、隋への道中で病気を平癒祈願してくれた聖徳太子の恩に報いるべく、宇佐八幡宮を勧請した、とされています。
創建は飛鳥時代と伝わります。御祭神は応神天皇。
ここの神使は鳩。
というわけで、狛犬ではなく狛鳩です。
境内いたるところに鳩が。
手水を使おう…と鳥居をくぐると、おもむろに、トコトコトコトコ、と一羽の鳩が近づいて来ました。
まるでお出迎えに来てくれたみたいで、嬉しいですね。
手水舎には鳩。
屋根にも鳩の細工。
本殿手前にも手水がありました。
石灯籠にも鳩。
拝殿。
本殿。
本殿前には、赤ちゃんのよだれかけが沢山奉納されていました。沢山の方々が、子どもの安全、かんの虫封じや、病気平癒、夜泣きなどを祈願されているようです。
八幡さん系の神社に行くと、石清水八幡宮や筥崎宮は非常に力強い空気感がある気がするんですが、ここはなんだかホッコリしている気がします。
子どもさんの事を思う親心で、そういう空気になってるのかな。
本殿の飾り幕にも鳩。パキッとした青がかっこいい。
鳩が彫刻された石灯籠に、カラフルな鳩(と招き猫)がいますね。これは神鳩という授与品のようです。
古い奉納絵馬に、鳩の飾り物が。
鳩のえさも売ってました。
ちなみに参道脇には、普通の狛犬さんもいはりました。
街なかからは離れたところにあるので、参拝者はあまり多くはなく、住宅街の中にある静かで落ち着いた神社でした。