移動すること約20分。
秋の実りを迎えた田園地帯を行くと、長閑な集落があります。民家が並ぶ細い道を進むと左手に神社が見えてきました。
確か駐車場があったはずだが…しまった。無いかも?と恐る恐る進むと、敷地の右手にちゃんとありました。
同市矢田町の矢田坐久志玉比古(やたにいますくしたまひこ) 神社。
御祭神は、久志玉比古神(櫛玉饒速日命)、御炊屋姫命。
別名、矢落(やおち)神社。
周りの環境がとても良くて、神社の鳥居をくぐる前から、ここは好きな雰囲気だなとワクワク。
この辺りは、古代の豪族の物部氏系列である矢田部一族が居住した地域といわれています。
神門をくぐり抜けると、石造り鳥居の向こうに拝殿と社叢が見えて来ました。
振り返ったところ。
神門の向こうから、集団登校の小学生たちの賑やかな声。
創建年は不詳ですが、この辺りでは最古社と言われています。
6世紀くらいまでは、畿内でもかなり栄えたお社であったそうです。
色々な神社に行き由来などを読むと「かつては隆盛を誇り」「当時は近隣の民がこぞって押し寄せて」という表現をよく見かけます。
現代とは交通手段や娯楽の有無、整地による境内地の縮小などなど、大きく変化がありますしね。
そう思うと、例えば現代の住吉大社や八坂神社など沢山の参拝客が押し寄せるお社であっても、あと1000年後はわからないのかも。
諸行無常を感じると同時に、こうして静かに鎮座されて地域を守っておられることに、深い感謝が湧いてきます。
お賽銭箱に擬態したかのように張り付く虫。
こちらに回ると、本殿がちらっと見えます。
木々の狭間から朝日が差し込む境内。
西側方向。田園地帯と神馬像。
絵馬には2本の矢。
矢落神社とも呼ばれる由来は、御祭神が天より授けられた天羽々矢を三本射て、矢の落ちたところに住むことを定めたといういわれがあります。
一の矢、もしくは二の矢が落ちたところが現在の神社となり、よって「矢落神社」と呼ばれているのだとか。
写真を撮影してませんが、神門入って左手に二の矢が落ちたという二之矢塚がありました。
右手にも注連縄で守られた曰くありげな石が。
近くには迫力ある木肌の木が陽の光を浴びて立っています。
古色を帯びたというか、落ち着いた優しい雰囲気の神社でした。また来たいです。