満足稲荷神社から歩いて三条通りを東へ。
約10分ほどの距離ですが、炎天下のため滝汗状態。 お茶などを飲んで水分補給。
白川。見るだけで涼やか~。
神宮道。向こうに平安神宮の大鳥居がチラッと見えます。
東山区、粟田(あわた)神社に到着。
これまで何度か車で行こうとしたのですが、 ご縁がなく何故かうまくたどり着けませんでした。
三条通りに面した参道。右隣は大きく綺麗なホテル。
参道を進みます。民家とホテルに挟まれています。
石段下の鳥居までやってきました。
粟田神社という名ですが、鳥居の扁額に「感神院新宮」と掲げられていました。
感神院というと、大昔、祇園の八坂神社が「祇園感神院」と呼ばれていました。八坂神社との所縁が深い神社のようです。
鳥居のすぐ左手に駐車場。「そうかー、道こうなってたのかァ」 と確認。
界隈は立派な邸宅も多く、雰囲気が落ち着いていてすごくいいです。京都市内でこういう界隈に住みたいなと思いました。
緩やかな傾斜ですが、ヒー、暑いからしんどい!
途中にある狛犬さん、その向こうに神馬像。
登りきると神楽殿が目に入ってきます。
そしてこのような休憩スペースも。風が吹いて心地よい。
平安神宮の大鳥居が見える。
とても立派な舞殿ですな。
木々に守られるように佇む拝殿。
粟田神社の御祭神は素戔嗚尊、大己貴命。
創建は貞観18年(876年)。
京の七口(京都へ繋がる街道の代表的な出入口の総称) の一つである粟田口にある青蓮院の鎮守社。
創建に関しては諸説ありますが、
平安時代、神祇官並びに陰陽寮から天皇に「これから兵災や疫病が出る」と奏上されました。
天皇から勅が発せられ、出羽守藤原興世が勅使として感神院祇園社( 現在の八坂神社)に七日七晩、祈願を行いました。
その満願の夜に興世の枕元に老翁が立ち、この地に御祭神をお祀りせよとのお告げがあり、創建されたとか。
そうかそうか。祇園の八坂神社から勧請された御祭神なのですね。それで「感神院新宮」なのか。
拝殿は重厚な雰囲気ながら、不思議と穏やかなものを感じさせます。
狛犬さんたち。
境内社もたくさんありました。
聖天社。 神社境内でお祀りされているのはとても珍しい気がします。
初代別当である湛海律師が刻んだ聖天像が残されているそうです。 (現在は本殿内にお祀りされているのだとか)
湛海律師は別当職を辞した後に、 生駒に移って生駒聖天こと寶山寺を建立されました。
ちょうど数か月前に寶山寺にお参りしたので、「ほー、 では生駒の前はここで聖天さんをお祀りしてはったんか。… 湛海さん、だいぶ聖天さん推しなんやな(失礼)」 とか思ったりしました。
北向稲荷神社(右側)と太郎兵衛神社(左側)。
太郎兵衛神社って?と気になったので行ってみました。
鳥居をくぐると、山肌に沿って赤煉瓦の擁壁があります。 大正時代につくられたもののようです。
お社は北向稲荷神社の奥にあり、狛狐が置かれていました。
元々は青蓮院の御門の西に奉祀されていた土地の守り神で、 陶芸家の楠部彌弌氏が信仰されていたお社なのだとか。
ちなみに北向稲荷神社は、古くから境内に鎮座されていて、 御祭神の雪丸稲荷は、 平安末期の名刀匠である三条小鍛冶宗近が勅命により剣を打つ際に 相槌を打ったお稲荷さんと伝わっています。
吉兵衛神社。
しめ縄が張られた石?岩?がお祀りされていました。
三条神宮道辺りにあった青蓮院の御門の東に奉祀されていた土地の守り神とのこと。
出世恵美須神社。
もとは三条蹴上の夷谷に奉祀されていました。
源義経公が源家再興の祈願をされた恵美須様で、 出世又は門出恵美須と称されました。
右側が大神宮。
左側が多賀社と朝日天満宮。
無料の宝物館あり。
中には粟田祭のお供えや剣鉾などが展示されていました。
石段を下り駐車場の方に向かいます。
もう汗ダラダラ。
境内社の鍛冶神社。
刀身を模した石?のようなものに囲まれ、綺麗に整備されていました。
粟田口の刀工、三条小鍛冶宗近・粟田口藤四郎吉光と、 天目一箇神を祀る鍛冶の神様。
地面に三日月。
名刀「三日月宗近」にちなむものでしょうな。
小さな手水にアヒルちゃん。
日本刀の絵柄の絵馬。
初めてお参りした粟田神社は、思っていた以上に拝殿あたりの雰囲気が良くて、風が吹き抜ける感覚が非常に心地よかったです。
道路と駐車場の位置もよく分かりました。
さて、それではすぐ近くの青蓮院に向かいます。