本日はお休み。
朝早く出発し、車で京田辺市へ。
この時期は夜明けが早いですね。季節の違いを感じます。
何度も通りかかった道路沿いにある、棚倉孫(たなくらひこ)神社。孫と書いて、ひこと呼ぶんですね。
通りから狭くて急な坂道を登ります。ひぇー。と言いながら登り切ると、突然神社が見えてきました。
右手の坂の下に駐車スペース。写真では分かりづらいですが、ここもけっこう急勾配。左手は神社の参道。
車を置いて改めてここからスタート。
左手の祠は金毘羅社。
拝殿が見えて来ました。
御祭神は、高倉下命(たかくらじのみこと)。別名:天香古山命( あめのかごやまのみこと)。
旧天神ノ森の産土神とされています。
美しい扁額。
振り返ったところ。町の氏神様といった雰囲気。
狛犬さんたち。
推古天皇31年(623年)に、相楽郡の棚倉ノ庄より高倉下命を勧請。古社ですね。
天照大御神の曾孫(ひこ)。
そうか、それで「ひこ」なんですね。
朱色の瑞垣の向こうに本殿。
「棚倉」とは、穀物を収蔵する際に湿気を避けるべく床を設けた倉庫のこと。養蚕にも用いられたそうです。
この辺りの地域は、古代、大陸からの渡来人による養蚕が盛んな地域であったそうです。
育てられた蚕は貴重なものとして、「天の虫」ともいわれました。その蚕が育てられた倉を崇めて神格化し、お祀りしたのが起源ではないかという説があるそうです。
ほぉ、倉を神格化かぁ。
いや蚕じゃなくて、そうですか、倉をね。と新鮮に思いました。
古代の方にとって、蚕がどれほど大切だったか。そしてそれを育む倉に対しても感謝や崇敬を感じていたという、当時の方々の価値観を垣間見る気がします。
京都市の木嶋坐天照御魂神社を何となく思い出しました。あそこも渡来人の秦氏と関わりが深く、土木や機織などの技術が伝えられた土地だし、「蚕の辻」という地名もついています。
遥か昔、渡来系の方々がお参りに来られていたんだろうな。
田辺町の無形文化財、ずいき神輿が展示されていました。あまりにも普通に置いてあるのでちょっとビックリ。
2年に1度のお祭りで、秋の収穫を祝い、約30種の穀物や野菜などで飾られたこちらのお神輿が繰り出されます。
すごいなー。
絵馬殿。
白川芝山筆の「猛虎図」。こちらはレプリカ。
米寿(88歳)に奉納されるマスカケ絵馬というものもズラーッとありました。不思議な形の木組みが貼り付けられています。お名前などが書かれているので写真は控えますが、こちらも初めて見ました。
昔ここに天満宮があったらしき名残。明治時代の神牛像。
さてさて、そろそろおいとまいたします。
不思議ないわれのある神社でした。
急な坂を下って道路に合流します。狭くてドキドキする。さて次の目的地へ。