水口から伊賀上野へ。
滋賀県の甲賀から三重県の伊賀に抜けて行ったのですが、途中の甲賀の集落には大きく立派な昔ながらの日本家屋が多く目に入りました。
思わず「さぞや名のある甲賀忍の末裔のお家なのでは…」と色々想像をして楽しかったです。
伊賀一宮、敢國(あえくに)神社。
駐車場の案内板。
案内板の右上。忍の姿が!凝ってる。
表参道。神社の社叢と古いお屋敷が落ち着いた雰囲気を醸し出していました。ここは静かな集落の中にあり、一宮ですが訪れる人も多くはなく、長閑な空気感です。
表参道沿いに現れる境内社。市杵島姫社。
正面鳥居に到着。
創建は、今から約1300年以上前の西暦658年と伝えられています。
ご祭神は大彦命(おおひこみこと)・少彦名命(すくなひこなのみこと)・金山比咩命(かなやまひめのみこと)。
拝殿へと通じる石段と新緑の木々。フォトジェニック。
神奈備山である南宮山を遥拝する形で鎮座されています。元々は南宮山の頂上にお祀りされていました。山麓に降ろしてお祀りするようになったのが、敢國神社の始まりなのだとか。
手水舎。
ご神水なのですね。ペットボトル持って来たら良かった。いや正確には車の中にあるのですがね。
狛犬さんたち。
石段を登って行きます。
緑がさわさわして気持ちの良い空間。
拝殿にてお参り。
中はとても広くて綺麗でした。拝殿の向こうに本殿があります。
ご祭神の大彦命は、西暦350年頃、第8代孝元天皇の長子として大和の国に生まれ、大和朝廷創建期の武人と云われているそうです。
お役目を果たされた後、大彦命の一族は伊賀の国に住まいを定め、その子孫が伊賀の国に広がっていったとか。
大彦命の一族は、当時の阿拝(あえ)郡を中心に居住した為、阿拝氏を名乗るようになりました。これが現在の社名にも繋がってくるんですね。
石段脇の御神木。
御神水の井戸。
桃太郎岩。
既に社務所の方へ行った主人をよそに「おや、奥に石段があるぞ?」と登り始める私。
左手が先ほどの拝殿。ここに繋がってるんですね。
石段奥の小高い場所に本殿がありました。
御神体山でもある南宮山の祭祀跡からは古墳時代の祭祀土器などが出土しており、社殿創立の遥か昔から祈りが行われていたと思われます。
いつもブログに神社創立の経緯的なことを、自分の備忘録的に書いてるのですが、この敢國神社に関しては、正直混乱しました。
神社の案内板、ホームページ情報、社務所でいただいた案内書、その他ネットの情報などなど、見れば見るほど「?」と思いました。
現在の三柱の御祭神の由来、
神奈備山である南宮山山頂の古代祭祀、
古代に四道将軍の一人とされた大彦命に連なる阿拝氏、
ここから北方にある大彦命の御陵墓である御墓山古墳、
古代百済から渡来し後に服部半蔵を輩出する伊賀服部一族と敢國神社との関わり、そして天正伊賀の乱、
などなど…。
色んな要素が盛り沢山で、整理するのがなかなか難しそう。ていうか大して歴史に詳しくない私なんぞには、もうよくわからないです(苦笑)
御朱印をお願いすると、もっと広い範囲で手持ちの地図状になったものを頂けました。これは今後の神社巡りに役立つアイテム。ありがたかったです。