いよいよ、軍艦島上陸クルーズ、リベンジ。
今回お世話になったのは「軍艦島コンシェルジュ」さんのツアー。
一昨年は、波が荒くて上陸は叶わず。更に生まれて初めての船酔いに苦しみました。
というわけで、今回「風があるので船酔いが予想されます」との案内を聞き、すかさず我々は酔い止めを服用。
さぁ、いよいよ乗船。二階のデッキ席に着席。
モニターに映し出されるガイドさんの熟練の話術が素晴らしかったです。引き込まれました。
30分くらい乗ると沖に出ますが、前はこの辺から波が凄かった。しかし、その日は大きな揺れもなく、穏やかな航海でした。ホッとしました。
しかし、1階席の人々が次々と2階トイレに入って来たので、下の席の方がダイレクトに揺れるのかもしれません。
軍艦島が見えてきました。
船内に歓声があがります。
世界遺産、軍艦島こと端島は、巨大な岩礁の上に作られた小さな炭鉱採掘の島。
岸壁が島全体を囲い、高層鉄筋アパートが立ち並ぶその外観が軍艦「土佐」に似ている事から、軍艦島と呼ばれています。
出炭量が増加し、当時としては世界一の人口密度でした。当時の東京の9倍で、福利厚生の方も最高に良かったらしいです。そりゃ、炭鉱での過酷な仕事をされるわけですから、待遇良くしてもらわなくちゃね。
端島小中学校。窓から向こうの空が透けて見えます。
1階から4階までが小学校、5階と7階が中学校、6階には講堂、図書館、音楽室、7階には理科室など。
かつては、ここには子どもたちの笑い声や掛け声などが溢れていたんですね。
いよいよ上陸。リベンジ成功。感慨深い。
あちこちから歓声が上がります。
見学可能なコースは、あらかじめ決められています。建物は損壊の危険があるものが多いので、自由に歩き回るのは、残念ながら一般人は無理ですね。
第一見学広場。
ブロアー機室の向こうには青い海。
第二見学広場。
正面の煉瓦の建物が、炭鉱総合事務所。
右寄りの崩れそうな階段のある建物は、地下の炭鉱に向かうエレベーター乗降所。
エレベーターといっても、ドカーンと落ちるかのようなフリーフォール状態だったそうで…実際に乗っていた方々は、かなり大変な思いをされたそうです。
海底炭鉱の深さは最深部で1000メートル近くにもなり、気温は30℃、湿度95%という過酷な環境。常にガス爆発や事故などの危険と隣り合わせでした。
煉瓦造りの資料倉庫に隣接する総合事務所の中には、炭鉱から上がってきた真っ黒な姿の作業員の為の共同浴場がありました。
そのまま家に帰宅すると、奥様方が「アンタ!その服、誰が洗濯すると思ってるの!」と、そういう感じになってしまうので…。
作業員たちは、まず真っ黒な服のまま浴室につかります。そこであらかたの汚れを落とす。お湯は常にイカ墨のように真っ黒。荒洗い、というそうです。
第3見学広場。
正面真ん中の建物が、大正時代に建てられた日本最古の高層7階建て鉄筋コンクリートアパート。30号棟。
作業員の社宅として建築され、内庭には吹き抜けの廊下と階段があり、地下には売店もありました。
建物自体は「大破」の状態で、もう修繕はできません。倒壊する可能性があります。万が一、私がまたここに来る事があっても、その時には、もうこの建物はないかもしれません。
左手の建物は31号棟。こちらも作業員社宅。地階に一般用の共同浴場があり、一階には郵便局や理髪店もあったそうです。
ちなみに、ガイドさんが仰るには、島には遊郭もあったそうです。多分この辺じゃないのかな。
ガイドさんの案内がとても上手で、皆、熱心に聞き入っていました。「いま、私たちが暮らしている世界も、いつこうなってしまうか分からない。そんな気持ちになる島です」と仰っていました。本当にそうだなと思いました。
橋桁のようなものは、貯炭ベルトコンベアーの跡。精炭(精選された石炭)は、このベルトコンベアーによって貯炭場に蓄えられ、石炭運搬船に積み込まれました。
奥の方に見えるのは端島病院・隔離病棟。左手の小高い丘の上にある建物は、エライさんの住宅だったそうです。
あっという間の上陸時間でした。船に乗り込み、軍艦島とはお別れ。
船の上から。写真をズームしました。右の方にある祠が分かりますでしょうか。
島に唯一存在していた端島神社。
かつては島民の心の拠り所だったのでしょう。
拝殿は倒壊してしまい、現在は祠が残るのみ。
廃墟の島にポツンと残る姿を見ると、切なくなります。
ちなみにお寺もありましたが倒壊しており、お地蔵様のみが残っているそうです。
船の最後尾に座ったので、遠ざかって行く軍艦島を眺めていました。
本当に船のよう。
当時、夜の海に煌々と輝くこの島が浮かび上がっていたんでしょうね。
上陸出来て良かったです!さらば、軍艦島。
長崎港に戻って来ました。
さて、ここから雲仙に向かいます。続く。