同じ野洲市にある兵主(ひょうず)大社へ。
EV車に乗り換えてから、走行距離と充電のことを常に気にするようになりました。
出発前日には、コスパの良い充電スポットやそれぞれの距離、時間などを調べて、参拝ルートを模索。
今回もその感じで来ましたが、「ま、今回はほぼ市街地やし、なんとかなるやろ」と早々に順番など予定変更。
のどかな田園地帯と静かな住宅地の中を走って行くと、広大な緑地が見えてきました。
兵主大社に到着。
鳥居入ってすぐ右手に祠があります。
足利尊氏公寄進といわれる楼門。室町時代の造営。
左右対照の翼廊が趣深く素晴らしい!私はここで一気に心をつかまれましたよー。
参拝前日に、この日に回る幾つかの神社の予備知識を得ようとざっくりと調べていました。
その中で「んー。兵主大社は、この中では私的にはあまりピンと来ないかも」と思っていましたが、とんでもないですね。楼門見ただけでズギュンですわ。自分の頬を近江名物の赤蒟蒻ではたいてやりたいくらいです。
楼門入ってすぐ右手、境内社の乙殿神社・天満宮。
天満宮の御祭神は言わずもがなな菅原道真公。
乙殿神社の御祭神は稲背入彦神。
手水が亀さん。
清々しい参道。
神社の職員さんが準備などをされている他、人の姿はなく、ほぼ貸し切り?状態でした。
とっても広いです。
手水舎には「飛翔」というテーマで、沢山のお花が飾られていました。
そしてここにも亀さん。春らしい花々に囲まれて、思わず笑顔になります。
とってもとっても気になる顔出し絵パネル。
シカまるクンは亀型のポシェットを下げてます。いやポシェットではなくリアル亀なのだろうか。そしてお隣の兵さま。にこやかで上品な白いお召し物ですが帯刀されているあたりが「つわもの」ぽいところでしょうか。
拝殿。
主祭神は八千矛神(大国主神)。
配祀神が手名椎神、足名椎神。古事記的には、えーっと、大国主神の奥さんのお父さんである素戔嗚尊の奥さんのご両親。つまりお嫁さんの祖父母か。
最近、こうの史代さんの「ぼぉるぺん古事記」を読んだところなので、すぐに思い出す事が出来ました(笑)
拝殿前の狛犬さんたち。願い事が書かれた白い布が結びつけられています。
この神社特有の願掛けなのですね。なんか怪我して包帯巻かれてるみたいだな。
絵馬コーナーで、推しのコンビを発見。
可愛らしい絵馬ですね。
拝殿右手エリア。
旧護摩堂。
ん?神社で護摩堂?と思い由来書を読んでみますと、兵主大社の御祭神の本地仏である不動明王を祀っていたとのこと。更に近隣の氏子さんたちが崇敬する36社の神々をお祀りしているそうです。
ここから本殿が見えました。
おや、屋根に神社建築である千木がないんだな。
手前には鹿の像。
そうか、それでシカまるクンなのですね。
創建は奈良時代初期。
景行天皇は、皇子である稲背入彦命(境内にあった乙殿神社の御祭神ですね)に命じて、現代の奈良県桜井市にある穴師坐兵主神社に八千矛神を祀らせ、兵主大神と称して崇敬しました。
この奈良の穴師坐兵主神社は、昨年お参りしたところです。みかん畑の側にある静かな神社でした。
そうこうしている内に、都が近江へ遷都されたり、とにかく何やかや色々あって、最終的には養老2年(718年)、播磨別らが琵琶湖を渡り東に移住する際に、現在地に社殿を鎮座したとのことです。
武士からの厚い信仰も得たとのこと。
確かに、神社名からしてそうですもんね。
源頼朝公、足利尊氏公、徳川将軍家などなど、厚い保護を受けたそうです。
亀さんみっけ。
社務所前。龍が巻きつく石灯籠。
ここは天皇家をはじめとし、武家からの崇敬も深い古社ということですね。
個人的には、花とりどりの手水舎や、シカまるクン&兵さまのなごやかコンビ。境内にある亀と鹿の造形など、ところどころに笑顔になるポイントが沢山あり和みました。
もう少しここにいたいな〜と、しばらくウロウロしていました。
あまり長くいると不審者かと思われるので(苦笑)、後ろ髪を引かれつつ楼門を抜けて行きました。
駐車場も広く、またお参りにお伺いしたい神社でした。