下書き保存したまま、アップするのを派手に忘れていました!いかんいかん。
けっこう前に、主人と泊りがけで、
雨天でしたが「まー。施福寺(西国巡礼の難所で30分の登山がある)じゃないから、サンダルでいいっしょ」とおバカな私はサンダル履きで出発。
文武天皇大宝3年(703)法相大徳弁基上人の開基です。
受付で入山料を支払い、いざ中へ。
しとしとと雨が降り、あっという間に足元はずぶ濡れですが、それは想定内と傘をさして進みます。
水鉢に踏まれている邪鬼をパチリと撮影。
仁王門。
仁王様。身体の割に小顔!
仁王様の下駄に乗り、キャッキャ言いながら記念撮影など。この時はまだ元気な私。
この後、雨に濡れた石段が続きます。
すぐにすり減ったサンダルがそれはもうツルツルッと滑ることが分かり、ヘラヘラ顔から「しまった」と真顔に変化。
ここからはもう無言で、滑らないように石段登りに集中。
そうとは知らぬ主人は、「うふふ。石段の真ん中にお花がある」という楽しげな風情でサカサカ登っていきます。
途中、天竺渡来の仏像が点在。
お堂の中にもインドっぽい原色の仏教絵画が掲示されており、このお寺はインド風味やねと話しつつ、進みます。
おおお、と思わず唸った一画。
「これはあれやな。坂道の名前ついたアイドルのやつみたい」と主人。AKB48のことかと思います。センターが壷坂大仏です。
三重の塔が見えてきました。
あ、ここからは日本のお寺ゾーンですね。
色とりどりの鬼。
この礼堂は本尊を礼拝するために建てられたそうで、三脚使用以外は撮影自由という珍しいお堂。
1096年に焼失し、1103年に再建されたものの、
ご本尊の 十一面千手観世音菩薩。
エキゾチックかつ目に力のあるありがたいお姿。
役行者像。カラフルですね。
外には、浄瑠璃「壷坂霊験記」のお里と沢市の像。
盲目の澤市と、彼を支えるお里の夫婦愛を描いたお話です。
余談ですが、私が若かりし頃、当時少し気になっていた先輩のお宅で数人で飲み会があった際に、先輩がCDを取り出し「これオススメ。聞こっか」と言うのでドキドキしながら「えっ。何ですか?聞きた~い」などとちょっと高めの声で返答したところ、おもむろに流れてきたのが「浄瑠璃・壷坂霊験記」だったのでした。
その後、体育座りで1時間ほど聞きました。
「どう?ええやろ」と言われ、内心「すごいという事は分かるが、なに言ってんのかさっぱりわからん」と思いつつ「聞きごたえありますね~」とか答えてました。ああ。この人とは教養のレベルが違い過ぎるわと分かった出来事でした。
移動して更に上へ。
雨の野原に寝釈迦の後ろ姿。
休みの日にソファに寝転がって「バナナマンのせっかくグルメ」の録画を見ているときの私にそっくりです。
振り返ると、天竺渡来大観音石像。
「ひゃーすごい」と言いながら、雨と緑に包まれる壷坂大仏を眺めました。
なんだかもうお腹いっぱいですわと思いつつ、恐る恐る石段を下っていきますと、見るからにインドな建物が現れました。
もう、左手の朱色の欄干がなかったら、「インドのバラナシで撮った写真」と言っても違和感がないのでは。
大石堂という建物で、アジャンタ石窟寺院をモデルに建てられた石の納骨堂だそうです。
内部の雰囲気は全くもってインド。
この仏像もお堂の装飾も、インドと日本の仏師さんたちが作りこんだものですね。その熱量に胸を打つものがあります。
外を見たところ。もう日本なのかインドなのか分からなくなってきました。
駐車場への帰途は、上りよりも更に神経を集中。ここで石段から滑り落ちたら全身ビッショビショですからね。
こりゃもうダメだと思い、道中どこかで靴を買う!と宣言。
さて、なぜ壷阪寺がこんなにもインドインドしているのか。
後でネット等でさっくり調べただけですが…。
かつて、壷阪寺のお坊さんが、インドで社会福祉活動を行なった事に対し、インド政府より感謝の意を表して贈られたのが、境内に点在する天竺渡来石仏。
延べ8万人の日本とインドの石工によって、4年7か月の歳月をかけて完成。運んでくるのも大変だったでしょうね。