竹田から円山川沿いに南下して、約40分。
朝来市の生野町にある史跡、生野銀山に到着。
途中、生野の街中を走ってきましたが、静かで昔ながらの雰囲気のあるところでした。
大同2年(807年)に発見されたと伝えられており、室町年間の山名佑豊(すけとよ)時代に銀鉱脈の本格的な採掘が開始。
江戸時代に幕府が銀山奉行を設置。その後、生野代官が置かれ最盛期を迎えました。
坑道内に入る前に、右手に山神社分社と黄銅鉱が見石としてお祀りされていました。中を覗くと小さな祠があり、水がポコポコと湧き出して流れ出していました。
その真横に、こちら。次郎羅茂(じろうらも)。
既にご存知の方も多いと思いますが、生野銀山では坑道内外に配置しているマネキン全てにお名前とキャラクターをつけて、「GINZAN BOYZ」としてアイドル活動(?)をしているのです。
思わずZAZEN BOYZや銀杏BOYZを連想してしまいそうですが、こちらはアイドル路線。
テレビでよく取材されていたので、いつか行ってみたいなと思っていました。
GINZAN BOYZのメンバー表をもらってきたので、写真を交えてちょいちょい紹介していきたいと思います(笑)沢山写真を撮ったのですが、ほんの一部だけ…。
次郎羅茂は、空と太陽を愛する堀大工。常にフォトジェニックなポーズを心がけています。
金香瀬坑口が見えて来ました。右手の山肌からは滝の如く水が流れ落ちています。
左側の石段を登ると、坑道外を歩くコースもあります。
坑道内に入りました。
気温は年間を通して13度くらい。
ワインの醸造コーナーもありました。
早速いました。風太郎。
洞窟内の風を操るクールな男。天性のミュージックセンスがあるのだとか。
堀大工の飛鳥くん。生まれた瞬間、父の金槌を持って3歩歩き、「生野銀山唯我独尊」と発言。生まれながらのエリート堀大工。
堀大工さんが人力で命がけで1日掘る距離は、15センチくらいだそうです。気が遠くなる労力の積み重ねです。
狸堀。
この穴はあちらこちらにありました。
人ひとり分くらいの細くて小さな穴です。
私はどちらかというと洞窟などが苦手なので、想像するだけで息苦しくなりそう。
栄作。朝に髭をそっても11時には生えそろうのが悩み。
岩肌が生々しい。
坑道内はあちこちから水が流れていました。
これ、当時は一つ間違ったら水がドバーッと噴き出て大変だったのではないかと思います。
翔。甘いマスクでモテモテ。銀山内の女はだいたい元カノ(笑)。そう聞くとチャラそうに見えてくるのが不思議。
どんどん奥へ進みます。
こちらも狸堀の跡。この奥へどんどん入っていくのか…。
ボタンを押すと、ドーンという発破音が流れます。
シュリンケージ採掘跡。
ダイナマイトなどで鉱石を採掘した跡。
覗き込むと、地の底へと続くかのやうな景色。
おぉ〜すごい穴やったねぇと言いながら移動。
明治時代、政府直轄鉱山となり、フランス人技師のジャン=フランソワ=コワニェが着任。先進的施策によりめざましい近代化を成し遂げました。
色々な出来事を経て昭和48年に閉山しましたが、いまは三菱マテリアルが事業所を設置しています。
この写真、走りながら撮ったみたいになってますが、実際早歩きで撮ってます。
何故ならば、歩く速度が速い主人が写り込まないように先に撮ろうとするものの、それを察知してものすごい速さで追い抜こうとしてくるので…。
太閤水。飲用は不可。
天正5年、羽柴秀吉がこの地に入った時にこの水を飲み、その美味しさを激賞し茶をたてたのだとか。
巻揚機。
上へと繋がっていました。
作業員用のトロッコ。
運転士はじろふみ。休日は播但線の写真を撮ることが生き甲斐。
乗ってる3人は、伊右衛門、菊之丞、竹泉。
この辺から江戸時代の採掘ゾーン。マネキンの衣装もここからチェンジします。
女性も働いていました。
鉱石を砕いてよりわけていた砕女。
かなめちゃんAとかなめちゃんB。GINZAN BOYZの事務方なのだそうです(笑)
お食事風景。
ご飯を食べているへいくろうは、堀大工飛鳥くんの父親である設定。白ごはんをおかずに白ごはんを食べる。
振矩師のふたり。そっくん、りょうくん。
この辺にくると、もう写真を撮るのも疲れてきました(笑)。
岩盤と鉱脈。
幕府の役人。左門。
トロッコのレール跡が残されています。出口が見えてきました。
外に出ました。
やっぱり、外は気持ちいいです。
水の流れにホッと一息。
売店のある建物にて。GINZAN BOYZ、5周年なんですね。
道の駅、銀の馬車道でかきフライ定食ランチ。
熱々で美味しかったです。
竹田城跡も生野銀山も、見応えがありました。
生野銀山は産業遺産として、歴史ロマンを感じるとともに、GINZAN BOYZの動向も気になるところです^_^