祝日の今日、原付バイクで京都市内へ。
もう11月なので風も冷たいですが、快晴でとても気持ちが良かったです。
東山区の今熊野商店街に面した新熊野神社。
新熊野、と書いて「いまくまの」と読みます。
本家である紀州熊野に対して、ここは当時の「いまの京都の熊野」ということで、そのように名付けられたのだそうです。
今風に言うと、シン・熊野神社か^_^
通りを走ると、既に気になって仕方がない大きな樟の巨樹が目に入って来ます。
いざ鳥居をくぐろうとすると、枝ぶりが素晴らしいですね。
鳥居の左手に、樟をお祀りしています。
うーん!
京都市内の神社でも、かなりの巨樹ではないでしょうか。
樟大権現として塀の向こうに行けますが、まずは先に拝殿へ。
拝殿の右側は、神事で使われる場所として注連縄で区切られていました。
拝殿。
御祭神は熊野牟須美命(くまのむすびのみこと)。
平安時代末期、熊野信仰が盛んだった頃、後白河法皇によって創建されました。
狛犬さんたち。
拝殿の屋根に注目。
左右に八咫烏像があります。ちゃんと阿吽になっているので、狛八咫烏でしょうか。
これは初めて見ました。先月の岡田鴨神社でも、珍しい八咫烏の手水がありましたね。
こちらの吽型の八咫烏の背後にご注目。
たまたま上空を飛んでいた二羽のカラスの一羽が映り込んだのですが、拡大してよーく見ると、吽型の八咫烏とほぼ同じポージング。自宅で見つけた時、嬉しかったです。
拝殿の左奥には境内社。左が上之社、右が中之社。
こちらの階段を登ると、京の熊野古道として造成されたゾーンがあります。
後白河法皇は34回も熊野に参詣されています。
現代の34回もなかなかですが、当時の環境で34回とは…。私だったら「もう熊野に住んだ方が良くない?」と言ってしまいそうです。
当時の京都人にとっては、熊野に参詣することは大変。そりゃそうですわ。今だって京都からだと決して近いわけではない。
そこで、熊野の新宮・別宮として、ここ新熊野神社が創建されたのだそうです。
熊野の木々や土などを運び込んで作ったらしいので、左京区の岡崎にある熊野神社と同じですね。
京の熊野信仰の中心地として栄えましたが、応仁の乱や戦火によって一度は衰退。江戸時代に再建し今に至ります。
ガラスケースの中には、熊野本宮八葉曼荼羅など、神仏習合を説明したものなどが展示されていました。
八咫烏も。鏑矢をくわえてますね。
本殿の裏側を歩く感じです。ここは商店街の中ですが、確かに熊野古道ぽい風景です。
このような立派な木もありました。
下って行くと、拝殿の横に出てきます。
左が若宮社。右が下之社。
そして、ウキウキしながら、最初に目に入った大樟を祀った樟大権現へ。
後白河法皇御手植えと伝えられています。
樹齢900年。神仏が顕れる影向(ようごう)の大樟とされています。
伸びた大樟の枝が、龍が空を飛んでいるかのように見える事から、樟龍弁財天とも呼ばれています。
健康長寿、病魔退散、「お腹の神様」としてご利益があるそうですよ。
いざ目の前にすると、かなりの大迫力。900年前からここにあるという事に畏敬の念を抱きました。
もう少しゆっくり見たかったのですが、神社の脇に停めた原付バイクが大丈夫か気になって気になって、境内を後にしました。
今熊野の方々は、毎日この大樟を通りから見る事が出来るのだと思うと、羨ましい限りです。