鷺森神社から森を抜けると、静かな山麓の坂道に出ます。住宅の並ぶ坂道を行くと、やがて人家は絶え、坂の勾配はやや急に。
あー、これ登るかぁ。
右手に武田製薬の薬草園が見えてきます。横目に見ながら息を切らして登って行くと、前方に曼殊院門跡の勅使門が見えてきます。
左手には鎮守社である弁天社と天満宮。
右側の天満宮は、曼殊院の中で最も古い建築。
勅使門。
築地塀に5本の水平の筋が入っています。門跡寺院という格式の高さを示すものだとか。
ぐるっと回り込むと曼殊院の受付。
ここで入場場を支払って中に入ります。
堂内は撮影禁止となっています。
門跡とは、皇室一門の方々が住職であったことを意味しています。京都には他に青蓮院門跡などがありますね。
延暦年間(728~806)に、伝教大師最澄により比叡の地に創建されました。
天暦年間(947~957)に、北野天満宮が造営されると、住職であった是算国師が菅原家の血筋ということで初代別当職となり、明治維新まで900年間、曼殊院は北野別当職を歴任しました。
その後、御所内に移転したりもしましたが、明暦二年(1656)に、現在の地に堂宇を移し今に至ります。
曼殊院門跡は、初めて来ました。小学生の時に、班ごとに京都市内の神社仏閣を巡る課外授業的なものがあったのですが、その時の下調べで「曼殊院てところには幽霊の掛け軸がある」と知りました。
以来、現在に至るまで来る機会がなかったのですが、ちょうど鷺森神社の奥にあるとわかったので、来てみました。
平日ということで参拝者は少なく、数人の靴が下駄箱にあるのみ。シンとした静かさに包まれています。
下駄箱からすぐに、大黒天がお祀りされています。曼殊院門跡の中で最古の大黒天とのこと。大きくはありませんが引き込まれるような深さを感じます。
大黒天のお札が置かれていて、志納して1枚頂くことが出来ます。私も1枚頂きました。なんとなく台所に貼ってます。
入ってすぐの右手に虎の間。ここには狩野永徳による虎が描かれた襖があります。
これテレビでよく見るやつだ!と興奮。当時、虎という生き物が日本にはメジャーではなかったため、狩野永徳さんがイマジネーションを駆使して描いたものだったと思います。なので全身が水玉模様の虎がいて、これはヒョウを虎のメスだと思って描いた、とかそういうものだったような記憶。
仏間に、ご本尊である阿弥陀如来がお祀りされていました。順路に従い通路に出たところに、ニ幅の幽霊掛け軸が掛けられていました。さりげなくあったので意表をつかれました。位置的にはご本尊の横くらい。阿弥陀如来は極楽浄土の仏様とされているので、意図的にここなのかなと思いました。
私が拝見した幽霊掛け軸は、薄墨で儚げな女性がふわっと立っている感じ。
こちらの曼殊院門跡に寄せられた幽霊掛け軸のお話は様々ないわくつきで、写真を撮ったりすると障りが出るとのことで厳禁となっています。
そもそも堂内の写真撮影禁止なのですが「曼殊院 幽霊掛け軸」などで検索すると写真がいっぱい出て来ます。凄みのある女性の幽霊が描かれたものです。おいおい…撮るなよーというところですね。
ちなみに、私がこの日に見たのは別のものでした。おそらくいくつか収蔵されているのだと思います。
先を進むと、収蔵されている宝物が展示されていました。ガラスケースに入っていますが、間近で見る事が出来ます。
織田信長公、徳川家康公、豊臣秀吉公、武田信玄公の書状などを見ていると、(本人が本当に書いたかどうかは分かりませんが)昔の武将は達筆だったんだな、小さい頃にお稽古されたのかなぁ、など色々思いました。
その先には、国宝の黄不動の画像の複製がありました。本物は京都国立博物館に寄託されているようです。ここで本物を見たかったな。
大書院前には、枯山水庭園。
庭園の撮影はOKとのことでした。
小堀遠州の作といわれていますが、実際の作庭者は不明。
水の流れをあらわした砂の中に、鶴島と亀島を配しています。
こちらが亀島。
こちらが鶴島。
樹齢400年の五葉松が鶴を表現しています。
その奥には、150年ぶりに復興再建された宸殿。真新しい建具や床がとても清々しい気持ちになります。その先に広がる庭園「盲亀浮木之庭」。
大海に100年に一度、息継ぎのために頭を出す目の見えない亀が住んでいた。とある100年目、息継ぎの為に顔を出したところ、そこへ風のままに流されて来た節穴のある木片の穴に、偶然頭がすっぽりはまってしまったという。それほど仏教に巡り合うこと、また人間に生まれることは難しいということを表しています。
お庭の広さも素晴らしいですが、この「盲亀浮木」のお話をその場で目にしたとき、なんだか有難い心地になりました。
曼殊院門跡を後にし、登ってきた坂道を降りて行きました。修学院の住宅街を抜けて叡山電鉄に乗り、出町柳に戻り、京阪電車の三条で下車。
久しぶりの三条大橋は修繕中でした。
叡電は楽しかったです。2両編成でなんだかほんわかしてるなーと思いました。
後日、曼殊院門跡への登り坂が効いたのか、翌日から下半身がなかなかの筋肉痛でした。これがなかなか治らない…。