道の駅へ行く途中「国宝 苗村神社」という大きな看板が目に入りました。今までも何度か見たことがあり、その都度気になっていました。地図で距離などを確認し、最後に行ってみることにしました。
苗村(なむら)神社に到着。
県道を挟んで、西本殿と東本殿が分かれています。西本殿寄りにある駐車場に車を停めます。
鳥居をくぐり、まずは西本殿の方へ。
石橋と楼門が見えて来ました。
楼門前を横切るのは馬場。
楼門右手に、雨乞いの儀式で使われるという唱え言葉が刻まれていました。なんかヤンキーの「夜露死苦(ヨロシク)」を思い出してしまった。
それにしても凄い楼門ですね。
今回お参りに行った神社は、檜皮葺の楼門が多かった気がします。
境内に入りました。本殿に対して横から入ってくる形になります。
入ってすぐ左手に龍神社。
手水舎は色々飾りつけられていました。
こちらは子守乃像。
子育てのご神徳に因み建立されたとのこと。
境内には不動明王のお堂もあり。
拝殿が見えます。とっても広い境内。
西本殿の御祭神は、那牟羅彦神(なむらひこがみ)、那牟羅姫神(なむらひめがみ)、國狹槌尊(くにさづちのみこと)。
狛犬さんたち。
国宝の西本殿が見えてきました。
創建は垂仁天皇の時代。
旧社名は長寸(なむら)神社とされていました。現代と読みは一緒で、漢字が変わったのですね。
長は最高位、寸は村の古字なのだとか。
軒の上に子守猿。
こちらは厄除猿。
始まりとしては、こちらではなく、道路を挟んだ向こうにある東本殿エリアにある東苗村古墳群の地に、地名の那牟羅と同音の長寸と呼ばれる社、現在の東本殿が建立されたとのことです。
その後、平安時代になり、現代の奈良県吉野山の國狹槌尊(くにさづちのみこと)の御祭神が、現在地に遷座されるようになり、今の西本殿となったとのことです。
つまり、古墳時代に遡って、東本殿にこの地域の祖神がお祀りされた。平安時代になって、(おそらく当時のどなたかが勧請されたのかな?)吉野山の御祭神をお祀りすべく西本殿を造営して、今に至るのですね。
本殿右手の境内社、護国社。
青空の下の神馬像。
天正時代には、織田信長公も馬鞍や太刀を奉納しているそうです。
さて道路を渡って東本殿へ。
この時は由緒など詳しいことは何も知らないので、「東本殿は境内社なのかな?どうして二つに分かれているんだろう?」と不思議に思っていました。
社名石が置かれています。昔の長寸(なむら)のものですね。
鳥居の先には、真横にある県道とは隔絶するかのような樹木が立ち並んでいます。
鳥居の中に入ると、西本殿とは雰囲気が違うなと思いました。
参道右手に通路が…。
日の光があたる祠。境内社の大神宮。
参道を進みます。
凛とした雰囲気。
御神木。
突き当たりに東本殿が現れました。
中央が東本殿。
左手が佐々貴神社、右手が天神社。
狛犬さんたち。
これはこれは…。
西本殿は国宝の社殿、こちらは国宝ではなけれども、かなり雰囲気あるな!と思いました。
本殿と向かい合う形で、東苗村古墳群が鎮守の森の中にあります。
ここから中に入ることが出来ます。
古墳があるのかぁ。すごいな〜と眺めてました。
一体どのへんにあるのかな?と思いながら東本殿を撮影してます。
後で見ると私が立っていたあたりがこんもりとした古墳でした(汗)。大変失礼しました。いやもう言い訳だけど、普通に木とか葉っぱで森化しててわからないんだもん。
東本殿の御祭神は、相殿神として大国主命、事代主神、素盞嗚尊とされています。
しかしこの古墳群の存在を見て、個人的には創始の頃のまま、地域の祖神、この東苗村古墳群にまつわる御方が御祭神として鎮座されて、この地域を見守ってらっしゃるのかなと思いました。
東と西で分かれているあたり、大津の日吉大社みたいですね。ちょっとした謎解きみたいで興味深かったです。
帰宅後、ラ コリーナで買った草餅でおやつ。
この日は、全て初めての神社ばかりでした。
また滋賀県もうろうろさせてもらいたいです!